【アサウラ先生が書き下ろした「ベン・トー」の特別編! ここでしか読めない秘話が…?】
 窓から差し込む夕日で、黄昏色に染まった部室。そこには僕と槍水先輩の二人しかいない。
 部屋のど真ん中に鎮座する大きな円卓、その窓際に僕たちはで並んで座り、将棋をやっていた。普通対面してやるものだが、円卓があまりにデカ過ぎてこうしなければ遊べないのだ。
 ここ数週間で日常となった、そんな時間だ。……だが、今日はいつも≠ニはちょっと違っていた。
「どうした? 手が止まっているぞ、佐藤」
 僕は考えていた。どうしたらいいものか。別に今回ばかりは将棋などどうでもいい。もっと重要なこと……それを槍水先輩に気付かせるにはどうしたらいいのだろう。そればかり、考えていた。
 しかし、何故こんなことになってしまったのか。どこでしくじったのか……。
 僕は今日の出来事を順に思い出してみる――

 4月27日。つまり、今日だ。それは僕、佐藤洋の誕生日である。今年、16歳になる。
 人は自分の誕生日に一体何を期待するだろう。豪華なプレゼント? 友人や両親からの愛? 女性なら彼氏からのプロポーズなんかがあるだろうか。しかし、僕はといえば、そんな大層な物でなくてもいい、そう思っている。
 誕生日を憶えていてくれて、そして僕を祝ってくれる。それだけでいい。そう、思う。
 過去、僕の誕生日をまともに憶えていてくれた人なんてほとんどいなかった。別に僕に友達がいなかったとかそういうのじゃなく……単に、皆、他のことに気を取られていて、僕の誕生日はいつも影に隠れてしまっていたのだ。
 そう……同い年の従姉、著莪あやめの誕生日の影に……。
 学校の友人たちは毎年アイツを祝うついでにあぁ、そういえばお前もか≠ンたいな感じで心のこもっていない「おめでとう」の声をかけてくるだけだった。僕の両親に至っては「そういえば洋、お前、先週誕生日だったっけ?」とか「来週、忘れるかもしれないから今の内に言っとくわ。誕生日おめでとう」とかいう極めて前衛的な祝福の仕方しか知らないので根本的に問題外だ。
 だが、それも昨年までの話。著莪は、彼女の親父さんの母校に進学したので、これまでと違って僕とは別の学校にいっている。つまり、4月27日、つまり今日という日は僕の一人舞台なのだ。
 今朝だってそうだ。教室に入るなり早々に内本君から「佐藤、誕生日おめでとう!」と野太い野性味溢れる声で誕生日プレゼントを渡してくれた。嬉しかった、最高に嬉しかった。彼からのプレゼントが『オレが興奮した女性からの罵声一覧表』とかいう彼の個人的趣味を最大限かつ最悪の形で反映した小冊子(しかもコピー)だったが、それですら嬉しかった。あまりに嬉しくって、僕はそれをすぐにゴミ箱の中にしまったぐらいだ。
 ……ただ、悲しいかな。授業が始まり、昼休みになっても内本君以外からの祝福がまったくなかったのだ。
 僕はこの時になって初めて気付いた。完全な盲点だった。現在、僕は高校一年生……つまりクラスメイトのほとんどは三週間前に初めて顔を合わせたばかりの連中……誰も僕の誕生日を知らないのだ。前日の夜、期待に胸を膨らませ、枕を抱きしめたままゴロゴロとベッドの上を転がっていた自分が哀れで仕方がない。いや、それ以上に内本君がどうやって僕の誕生日を知り得たのか、そっちの方が疑問で仕方がない。個人情報の漏洩という現代社会における重大な問題を身近に感じて、うっすら恐怖すら感じた。
 だが、気付いたのはそれだけじゃない。同時に、このままでは一番祝って欲しい人から祝ってもらえないという事実に、僕は気付いたのだ。
 昼休み終了間際、僕は教室を抜け出し、校舎に隣接する部室棟、その五階に駆け上った。僕が所属する、半額弁当を奪取するのを目的とした『ハーフプライサー同好会』の部室を開け、中央に鎮座する円卓の上に、昨夜僕が偶然忘れていったかのように生徒手帳を広げて置いた。
 ……やや不自然な状況な気がしないでもないが、まぁ大丈夫だろう。これで槍水先輩は僕の誕生日に気付いてくれるに違いない。
 ……いや、待てよ。放課後に気付いたところですぐさまプレゼントなんて用意できるわけがない。となればその場で急遽用意できるものを代用するしかないわけだが……当然小学生やファンタジーの歌姫でもない限りはお歌を唄ってそれでお終い、ってことにはならないはずだ。
 ……これはうまくいけば、うまくいくんじゃないのか……?

 ……そんな妄想を膨らませていた時もあった。もう一人の同好会員である白粉花が今日は部室に来ずに仲の良い白梅の家に遊びに行く、という話を聞いた時は確信すら憶えた。
 だが現実ってのは甘くない。てっきり部室に入るなり「おめでとう」の声が迎えてくれるのかと思ったが、実際には「忘れ物だぞ」と、至極真っ当なことを言われるに止まった。
 そして、いつものようにテーブルゲームだ。よくよく考えてみれば部室に生徒手帳が置いてあったからといって、果たして誰がそんなものをマジマジと見るだろうか。せいぜい顔写真を見て、変な顔して写ってるなぁ、と思うぐらいだろう。
 しくじった。完全にしくじった。こうして思い出してみればいろんなところにミスがあったのがわかる。……チクショウ。
 うぅ……このままではあと数時間と経たずに今日が終わってしまう……。
「何故こんなところで手が止まるんだ? ……何か秘策でも用意してきたのか?」
 先輩の漆黒の瞳が睨むようにして僕を見てくる。慌てて「いえ」と言おうとしたものの、その声は僕の携帯の音にかき消される。先輩に一言告げて出てみれば……著莪からだった。
 何だかやたら賑やかな音とともに、著莪の声が聞こえてくる。
『佐藤? おひさ。今何やってんの?』
「……別にいいだろう、なんだって。今ちょっと真剣に考え事を――」
『わかってるって、どうせ暇してんでしょ? アタシは今友達の奢りでカラオケに来てるんだけどさ、何でかわかる? わかるよね? どうする、佐藤、アンタも来る? 従弟も今日誕生日だって言ったらみんな奢ってくれるってさ。ゲーセンも隣にあるし、来ない?』
「それは拷問だろ、見ず知らずの人についで≠ナ誕生日祝ってもらうとか……。っつぅか遠いっての。こっちとら仕送り少なくてバスに乗るのにも抵抗があるってのに……」
『あー、そっか。ゴメン、まだ地元にいる感覚だった。残念だなぁ。今バイクの教習所通ってるんだけど、卒業試験が明後日だからなぁ。……うん、よし、あと三日待て』
「……僕たちの誕生日が跡形もなく終了している頃合いだと思うんだけど……」
『だよねー、アッハッハッハ。んじゃまぁ誕生日オメデトーってことで。その内会いに行くわ。じゃね』
 ……と、著莪は電話口で笑いながら言い、一方的に電話は切れた。
 アレか? 僕に対する高度な嫌がらせか? いや高度でもないか。
 佐藤、と先輩が僕の名を呼んだ。彼女は円卓に片肘を置き、その手をグーにして口元を隠すようにしながらこちらを見ていた。
「お前、まさか今日、誕生日なのか……?」
「……えぇっと……はい、えぇ、まぁ……その、はい。今日で16になります」
 はぁ〜、と深い溜息を吐いた後、先輩は項垂れた。
 あ、予想外の展開だが、これはこれで良かったんじゃないだろうか……? 何だかんだとうまくいった……?
 無論こうなれば自然と僕の妄想展開にシフトされてい――アレ? 何故だろう。先輩が上目遣いで、僕を睨んでいる。
 先輩は幾分苛立った声を出す。
「どうするんだ。今から何か用意するってわけにもいかないぞ。どうしてお前はそういったことを事前に教えない?」
「え、あ、その……すみません」
 アレ? なんで僕、怒られているんだろう?
「それとも何か、教えたところで私が何も用意しない薄情者だとでも思っていたのか?」
「……い、いえ、そんなことは」
「今日は様子が変だとは思ったが……まったく。もういい。佐藤、お前の番だ。早く打て」
 先輩はそう僕を叱るように言い、苛立った様子で窓の外に視線を向けた。まるで僕の顔なんか見たくないとでも言うように。
 あらゆるところでしくじった。そう後悔したところで全てが遅すぎる。僕はもう余所事を考えるのを辞め、将棋の駒を動かし始める。
 僕が打てば、間髪なく先輩がパシンっといい音を響かせて応じる。不思議と、その音一つ一つに叱られているような気分になった。
 ……そうして幾度かの勝負が終わり、空に星々が煌めき出した頃、先輩は席を立った。
「行くんですか? 今日はまた早いですね」
 ハーフプライサー同好会の主な活動である半額弁当の奪取、それに行くのだろうが……しかし先輩が縄張りにしている二つの店、そのどちらに行くにしても少し早い。今から向かえば弁当に半額シールが貼られる大分前に到着すると思うのだが……。
「今日は少し遠い店に行ってくる。……遅くなるかもしれない」
 それだけ言い残し、彼女は部室を出て行った。僕は一人、溜息を吐きながら将棋の駒を片付けた。
 余計なことを考えずに、普通に口頭で言えば良かったのかもしれない。
 後悔先に立たず、とはホント、昔の人は良く言ったものだ。

 それから二時間後。月明かりが唯一の光源である暗い部室に僕は相変わらず一人だった。変わったことと言えば、先程買ってきたカップ麺が円卓の上に一個置いてあるというぐらいだろうか。
 一応、半額弁当を狙ってスーパーに行ったものの……一つとして手にすることはできず、この有様だ。きっと心に迷いがあったせいだろう。……あまりにテンションが低すぎた。
 まぁ、いいじゃないか。ほら、今年は僕を祝ってれた友達、内本君がいた。あのプレゼントはともかくとして、彼の気持ちが嬉しかった。十分じゃないか。そう、思おう。
 電気ポットでお湯を沸かしていると、部室の扉を開け、槍水先輩が入ってくる。彼女は当然のように半額弁当が入っているであろうレジ袋を手から提げていた。
「何だ、佐藤。弁当は獲れなかったのか?」
「えぇ、残念ながら」
 苦笑いして円卓の前に座る僕に、先輩もまた苦笑う。彼女は円卓の上にレジ袋を置くと、中から弁当を取り出し、それを電子レンジに入れる。僕もまたカップ麺の包装を解き、電気ポットからお湯を注いだ。
 ……そして、しばしの待ち時間。電子レンジからブォーンという稼働音が聞こえ続け、円卓の上のカップ麺から空腹に響く香りが漂い出した頃。僕はふと、あることに気が付いた。
 円卓の上にカップ麺とともに置かれているレジ袋。それは先輩の弁当が入っていた袋なのだが……何故か中身を出したはずのなのに未だに横倒しになったり、クタっとなってしまわずに聳え立ったままなのだ。……まるで、何かがまだ入っているかのように。
 ……まさか……?
 先輩は電子レンジ内で回る弁当を見つめ続けていたので、僕はそれとなく立ち上がり、冷蔵庫から麦茶を取り出しつつ、首を伸ばしてそっと中を覗こうとするのだが……チーンっという電子レンジの音がして慌てて僕は首を引っ込める。
 うっすら冷や汗をかきつつ、二つのコップに麦茶を注ぐ。
 佐藤、と先輩は僕を見ずに弁当を取り出しつつ、言う。
「それ、出してもいいぞ」
 バタン、と電子レンジを締める。黒い電子レンジの扉、そのガラス部分に先輩の顔が反射していて、その映り込んだ彼女が僕を見ていた。少しだけ、微笑むように目を細めて。
 言われるがままにレジ袋からそれ≠出してみると……透明なプラスチックケースに入った2ピースのショートケーキだ。
 バーコードの入った値札と黄色と赤で彩られた鮮やかな半額シールからケーキ屋さんとかで買ったものではなく、スーパーで弁当と一緒に買ってきたものだと知れた。
 先輩は温め終わった弁当を円卓の上に置き、包装を解く。弁当の湯気が溢れた。
「この辺じゃあまりないが、少し離れたスーパーにはそういうのを置いてある店もある。当然半額にもなるんだ。ロウソクとメッセージプレートが用意できないのが残念だが、まぁ、許してくれ」
 彼女はどこか申し訳なさそうに眉をやや八の字にして微笑む。僕は「いえ」と言うのだが、言葉が続かない。嬉しかった。人から自分のためだけに誕生日ケーキを送ってもらったことが何度あっただろうか。
 良くて著莪と一緒、または著莪のついで、ヘタすりゃケーキ自体がなかった。
 昨年なんて母親から『宇宙食(チョコレートケーキ)』という、銀色のパックに入ったフリーズドライされた小さなケーキを渡されただけだ。しかも誕生日の二日後である。
 明らかに母親が自分の通販のついでに買った代物だったが、珍しい上、予想外においしかったのでちょっと嬉しかったのが逆に悔しい。文句が言えなかった。
 そんなのばかりだった僕に、今年は先輩からのケーキ。しかも半額シール付きである。
 ただケーキを購入するのならお金を出せばいい。だが半額シールがついたものとなるとそうはいかない。半額シールが貼られるまで待ち、さらに数少ないそれらを狙うライバルたちを倒し、それでようやく手が届く……価値あるもの。今更語るまでもなく、簡単ではないのだ。
 しかもわざわざ遠方の店にまで先輩が行ってくれたとなれば……どれほど嬉しいことか。
 ヘタなプレゼントよりも、ずっと彼女の気持ちが込められている、そんな気がした。
 まったく……アホな妄想して、期待していた数時間前の自分が情けなさ過ぎる……。
 僕はどもりそうになるのを堪えながら、口を開く。
「……ありがとう、ございます」
 先輩はどこか、ホッとするような顔で、笑った。
「席につけ、佐藤。夕餉といこう」
 僕と先輩は円卓の窓側の席に二人で並んで座る。先輩の弁当とカップ麺、そしてケーキを月明かりが美しく照らし出す。
 僕たちは手に箸を持ち、息を吸う。

 ――いただきます!

 大きな声が、深夜の部室に木霊した。


 <了>