● だいたいいつもそんな感じ
※本作を読むに当たってのご注意※
 当作品にはこれといったオチはありません。佐藤洋と著莪あやめの平常運転な日常をお楽しみください。
 過度な期待やこれ自体が前フリではないかという余計な詮索は大変危険ですので、絶対におやめ下さい。
 世の中には魔法の言葉ってのがある。その言葉を口にするだけで、摩訶不思議なことが起こったり、通常では考えられないような事態が発生したりするものだ。
 かつて一言放つだけでいとも簡単に時を止めて見せた広部さんのような魔法少女たちは言わずもがな。そしてそれと同じようにして僕、佐藤洋と著莪あやめの祖父もまた、ある魔法の言葉を得意としていた。いや、ある意味では孫を持つ人ならば誰もが得意とする魔法の言葉なのかもしれない。……そう、それは至極簡単な言葉なのだ。
 それは土曜日の朝に突如掛かってきた祖父からの電話だった。彼は開口一番に、あの魔法の言葉を放つ。
――ジイチャンが小遣いをやろう。
 まさにそれは魔法。それを唱えるだけで全国の爺さんたちはいとも簡単に孫を召還することができるのだ!
 実際、その言葉が放たれた一時間後には、僕と同様の電話を受けた著莪と共にバイクに跨り、彼女の細いウェストに両手を回していた。
 例え、祖母が町内の婦人会で韓国に行っちゃったのでジイチャン寂しい、顔を出せ……という、正直年寄りのワガママ以外の何ものでもない理由とはいえ、お小遣いをいただけるというのなら僕と著莪に断る理由などありはしない。
 バイクはもうすぐ一二月の肌寒い空気の中を突っ走り、一路愛すべき祖父の家を目指した。
 お小遣い……あぁ、何て甘美な響きだろうか。特に祖父や祖母からのそれは両親からのものよりもはるかに素晴らしい。特に別居しているとなればその期待値は天井知らずと言っても過言ではない。一〇〇〇円や二〇〇〇円なんていう子供騙しなわけがなく、低く見積もっても五〇〇〇円から一〇〇〇〇円はかたい。そしてその額というのは僕や著莪のような高校生にとって、砂漠の民が水に対する愛おしさに近いものである。
 だから、僕らは走った。いざ祖父が住む山間へ。手袋をしていてもなお、かじかんでくる冷たい風なんて何のその。著莪はハンドルを握り、アクセルを開き続ける。
 もちろん僕だってお小遣いへの情熱は負けてはいない。冷たい風を退けるように著莪が着ているスカジャンのポケットの中に僕は手を突っ込み、彼女の体温でぬくぬくと手を温めながら、お小遣いの金額に想いを馳せた。……不公平? 何を馬鹿な。スカジャンのポケットとはいえ、風は抜けてくるもので、手の甲は結構寒いのだ!
 まぁ、それはともかくとしてもほぼ確実に手間賃と称して僕が貰うお小遣いの三分の一が著莪の懐に流れていくので、これぐらいは許して欲しいところである。
 道中、田舎道に飽きてふざけ半分に著莪のお腹を揉んだりすると、わざとバイクを揺らされて振り落とされそうになったり……またその逆もあったりしながら、微妙に遅くなりつつも僕たちは夕暮れ時に祖父が所有する山に到着したのだった。
 それは不法投棄を行う悪質業者の間では『黄泉の国』と称される山。春先などの山菜採りの時は近隣の人々に開放するが、それ以外の時期は、自衛隊の冬季戦技教育隊にいた時だか、ベトナムへ行った時だかに学んだという祖父お手製のブービートラップが固く守っている神秘の土地である。
 実際、遊び半分にとはいえ、幼少期に親父や祖父から様々な技術を教えられた僕や著莪でさえ、ヘタに足を踏み込むと命に関わるレベルであり、そんな場所に所詮は一般人である不法投棄業者が足を踏み込めばどうなるか……もはや語るに及ばない。
 無論、耐久性で世界的にも評価される日本のトラックであっても、山全域が地雷原も同様の有様では大破は免れない。近隣で爆発音が聞こえたら花火大会か、この山でトラックが爆散したかのどちらかだと近隣の人たちは笑いながら語るほどに、ある種の名物となっていた。
 『不法投棄禁止』『ここから先私有地に付き立ち入り禁止』『監視カメラ作動中』『猛犬注意』『この先危険!』『まだ間に合う! 引き返せ!』『死を忘れるな{メメント・モリ}』『死か、投棄か{Dead or Throw}』『我が土地に踏み込んだ者に未来はない』『覚悟せよ。これより先は漢の勝負』『ここは地獄の一丁目』『……死はすでにお前を捕らえた……』等々、六〇を過ぎてなお厨二病をこじらせている爺さん手作りの、大変愉快な看板を眺めつつ、僕らは私道を走り抜け、目的地に到着した。
 爺さんの家は一〇年ぐらい前に立て直されているので、なかなかに綺麗な二階建ての一軒家だ。山間ということもあり、周りは木々以外に何もないが、家の周りは広く切り開かれているおかげもあって、ちょっとした旅館のような雰囲気さえある。
 二台の古くさいジープが納まる車庫の片隅にバイクを止め置き、僕らは玄関に向かったのだが……おかしなことに、チャイムを鳴らしても何の反応もない。そもそも家の中に人の気配がないのだ。
「あれ? どうしたんだろ?」
 ヘルメットから解放されたことで、ボリュームのある金髪がいつも以上にボサボサの著莪は、手櫛で髪先をとかしながら家を見上げる。二階建ての家だか、どの部屋にも明かりはついていない。
 仕方ないので僕らは裏手に周り、猟銃登録されているAKM(総弾数五発+一発、セミオートオンリーに改造済み)が納まるガンロッカーを初めとして、様々な工具類や資材が眠る爺さんの工作室の窓を爪先で叩いた。半地下のそこは、光を取り入れる目的で丁度パンチラ専用の覗き窓のように、地面からひょっこり厚い窓が顔を出しているのだ。
 しかしそれでも反応はない。電話しようか、となった時、唐突に著莪の携帯が鳴る。著莪が取ると、僕も耳を寄せて二人の会話に耳をそばだてた。
『おぅ、あやめか。洋もいるな?』
「あ、じいちゃん。うん、ついたけど……いないの?」
『いやなに、町で夕飯の買い物でもしようかと思ったらタカちゃんと会っちゃってな。そう、あの呑兵衛で有名なタカちゃんよ! 一杯呑みに行こうぜってもう、こっちは孫が来るって言ってんのに誘ってきたらきかねぇの! いくら言っても全然ダメで、もぅこれだからタカちゃんは!!』
 がはははははは、とすでにかなり呑んでいるらしい爺さんは電話口で大笑いをあげるのだが……いや、誰だよ、タカちゃんって。ローカル過ぎて笑えねぇっての。
『ま、そんなわけなんでな、帰んの明日になるわ。小遣いはそん時にな。家の鍵は玄関前の植木鉢の下にあっから、それ使えや。んじゃ、またな! ……あっ、ちょっ、もぅタカちゃん、ここで脱ぐのはなしだろぉ! またジョンの奴が笑い転げ――』
 電話が切れた……というか、著莪が聞くに堪えないといようにして切ったようだ。
「まったく。酔っぱらいの相手ほど嫌なもんはないなぁ」
 著莪はぼやいて携帯をしまう。僕もまたそれに同意しつつ、植木鉢の下から鍵を回収して、『著莪』と表札のかかる家の扉を開けた。

 祖父の家に着いたところで特にこれといってすることもなかった僕らは二人して居間のコタツに入り、その下で、相手にちょっかい出し合ったり、足先の感覚だけでお互いの靴下を脱がしあったり、古びた漫画を読んだりして、いささか無為に時間を潰していった。
 どうでもいいんだけど、長時間履いていた靴下を脱いだ瞬間の開放感は最高である。
 日もとっぷりと暮れてしばらく、不良漫画を読んでいた著莪が、
「前々から思ってたんだけどさ。ヤンキー漫画とかって、まともに考えると結構シュールだよね」
 ……という、大変危険な発言を唐突にし出して、僕の背筋を振るわせた。コイツ、全国に万単位のファンがいる一大ジャンルにいきなり楯突いたのだ。
「いや、だってさ。ヤンキー漫画のキャラクターってデカイこと言ったり、カッコ付けたりしてるけど……結局、コイツらって親のお金でご飯食べてるわけじゃん。しかも学費や寝床はもちろん、実質的にパンツ一枚まで。しかも喧嘩とかで怪我して病院行ったりしてるけど、それって間違いなく親が健康保険料を納めてて、それの世話になっているわけだし。そういう制度が緩い国だと、保険に入っていない人も多くってさ。そうなるとどんな怪我しても病院なんて行かないんだよ。すっげぇ高いから」
「しゃ、著莪……そ、そういうことは言っちゃいけないんじゃないかなぁ……」
「何で佐藤が怯えてんの? 別にこの種のファンの前で堂々と言っているわけでもないんだし」
 ……いや、そうなんだけどね。うん。ただ、何か……うん……うん。僕の中の何かが危険だと訴えているのだよ……。
「あ、でもホラ! もしかしたら作中で描かれていないだけで実はカツアゲや強盗、窃盗とかで日々コツコツと生活費を稼いでいるのかも!」
「それこそシュールじゃん。真っ当に働いたり、まともに勉強して奨学金貰った方がずっとマシだし。それに、コンビニ強盗とかってニュースで見ている限りせいぜい一〇万とかでしょ? そんなんじゃ毎月一回は割とデカイことしないといけなくなるから、確実に一年持たないよ。途中で絶対捕まっちゃう。っていうかそれヤンキーとか不良とかいう以前にただの犯罪者じゃん」
 当作品は若者の健全な学校生活を応援しております。
「バイトだよ!! バイトしてるんだ! たまにあるじゃん、バイトしているヤツ!」
「まぁあるけどさ。でもあせびとか見てるとわかるけど、バイトしてても、やっぱり未成年が独力で生きていくのってキツイって。だって一日の半分以上学校で過ごさないといけないんだから、全然稼げない。それでバイクだ喧嘩だってやってたら時間もお金も全然足りなくなるのは目に見えてるじゃん。特に不況の今じゃ派遣社員とかでも食べていくだけで精一杯だって結構前からニュースでやっているし。そんなご時世に高校生で、半日以下しか働かないで、それでたまに怪我したり問題起こして警察の厄介になったりする奴がどれだけ――」
 もう限界だ! これ以上著莪に何か喋らせるのは危険だと、僕の中の何かが警鐘を鳴らしている!
「著莪お腹空いてない!? そろそろ夕食の時間だよね、うん、食事にしよう!」
 嫌な汗が全身から噴き出すのを感じつつ、僕は立ち上がって言い放った。
 さすがに昨今は絵に描いたような不良はいなくなったとはいえ、未だその手のジャンルの人気は根強いし、見た目が変わっただけでそういったものをバイブルにして生きている人も多いのだ。
 別に私有地の山の中に立つ家だし、周りに誰かが聞いているわけでも、僕が出版関係者とかでも何でもないのだけれど……リスクは背負わないに超したことはない。うん。
「それもそうだなぁ……」
 著莪はそう言うと、漫画本を持ったまま仰向けで寝転がり、体を仰け反らすようにして「うーっんっ」と大きく伸びをした。
 ……結構頻繁に会っているせいでイマイチ気がつかないけど……著莪のヤツ、成長期なのか知らないが最近また胸が大きくなっているような気がしないでもない。今、コイツ何カップだ? 中学の時とは雲泥の差があるぞ……。
 今度アイツの部屋に行った時に、さりげなくブラのサイズでも調べてみるべきかもしれない。
 さて、鮮やかに危険な話題から健全な話題へシフトした僕らは早速夕食をどうするかで話し合った。
 僕としては多少距離はあるが、町の方にあるラーメン屋に行きたいところだ。昔ながらのラーメンを出すところで、これといって何の特徴もないのだけれど、シンプルイズベストという言葉があるように、何故だか無性に食べたくなる味だった。あの絵に描いたようにオーソドックスなしょうゆラーメンと、お握りをオーダーすれば……もうたまらない。僕はもちろん、著莪も大好きだ……ったはずなのだが……。
「うーん、確かにあそこの、おいしいけどんさぁ。ちょっとなぁ」
 何か渋り出した。彼女は腹筋を使って再び上半身を起こすと、やや俯き加減にバツが悪そうな顔をする。そして僕ではなく地方番組を垂れ流しているテレビを見やった。
「いや、好きだし、食べたいのは食べたいんだけどさ……」
 著莪らしくない歯切れの悪い物言いだ。何か深い理由があるのかもしれないと思い、僕はもう一度コタツに入り、彼女の顔を見つめることでその先の言葉を促す。
 ふと、僕の素足に彼女の足先が伸びて来て、撫でてきた。
「もう靴下脱いじゃったし、何かまた外に出る気しないんだよね」
 ……なるほど。言われてみれば、確かに一度脱いだ靴下を再び履くというのは若干の抵抗感を覚えるものだ。
 僕が同意の言葉を口にしようとしたものの、それより先に著莪がちょっと恥ずかしがるような顔をして言葉を続ける。
「それにさ……もう日も落ちちゃってるし、寒いよ」
 その言葉を聞いて僕はハッとした。あのラーメン屋はここからだと少し遠く、徒歩で行くのは辛い。いつもなら爺さんのジープに乗せて貰うけれど……今は著莪のバイクに頼るしかないのだ。
 彼女は結構平気な顔をしていたけれど、ここに来るまでの間、実は相当寒かったのかもしれない。
 僕は著莪の背中に抱きついているだけで、風なんてほとんど受けなかったけれど、彼女は違う。腕を伸ばしてハンドルを握った体勢のままで、ずっと風を浴びていたのだ。しかも風を防いでくれるようなウィンドブレーカーや革ジャンでもなかったのだし……。
 今度バツが悪い顔になったのは、僕の方だった。
「あっ……ごめん、何か、自分勝手なこと言っちゃって。そこら辺、何も考えてなかった」
 別にいいって、と著莪はようやくいつもの笑顔に戻ってくれた。
「それじゃさ、著莪。何かあるか冷蔵庫と貯蔵庫でも、覗いてみようか」
 多分、田舎に住んでいたり農家だったりするとわかると思うのだけれど、この辺の家庭には普段使う冷蔵庫の他に、食料を溜め込む貯蔵庫というものが大抵あったりする。
 爺さんの家の場合は半地下の作業室と同じように、キッチンの床下にちょっとしたエリアがあり、夏は多少{・・}涼しく、冬でも野菜なんかがあまり{・・・}凍らない、良い感じの場所になっているのだ。
「手料理かぁ。大丈夫かなぁ」
 著莪が不安を口にするが、僕は彼女を安心させるように「任せておけ!」と胸を張って言ってやった。過去に幾度も散々な目に遭っているが、ご飯ぐらいは満足に炊けるレベルではあるのだ。……最悪、塩ご飯という最後の手段もある。
 そんなこんなで僕らは冷蔵庫と貯蔵庫から食材を用意しようとしたものの……何か、ろくな喰い物がありやしなかった。よくよく考えてみると爺さんが僕らを呼んだのって、寂しさに耐えかねてということだから、婆ちゃんが旅行に行ったのって数日前の可能性が高い。その間に爺さんが食料を一通り喰らい尽くしてしまっていたのだろう。さっきの電話で、夕飯の買い物に行っていたらしいことも言っていたし。
「ま、お米あるし、卵もあるし……大丈夫かな。とりあえず卵かけご飯が出来るしね」
 そう言って台所の戸棚を漁りながら、著莪は言った。
 僕もそれに同意しつつ、爺さんの中途半端に開封されてるツマミばかりが納まる冷蔵庫をひたすらに漁る。すると、驚くべき物がひょっこりと顔を出したじゃないか!
「よしキタ! 著莪、最高に良い物があったぞ!」
 ナニナニ、と背後から僕の肩に顎先を載せてくる著莪に、僕は今し方見つけた袋を見せてやった。
「おっ! 赤ウィンナーじゃん!!」
 そう、そうなのだ! あの安っぽい赤いウィンナーが未開封で珍味に埋もれていやがったのだ! ご飯、卵、赤ウィンナー……もう、これだけで全然いける!
「やったじゃん佐藤!」
 まさに宝物を発見したがごとく、著莪は力一杯に後ろから抱きしめてくるのだけれど、いかんせん、さっき彼女の成長中である胸を見たせいか、背中に当たるその感触に意識が……こいつはなかなか……ん?
「著莪、その、手に持っている物なに?」
「ん? 海苔。何か、大量にあってさ。多分、葬式で貰ったんだろうね」
 これも田舎特有のものだろう。過疎化が進むような町や村ではどうしてもご年配の人が多くなる。そういった方々が往生した場合、町の人数が少ないと必然的に顔見知りばかりになるから、葬式に呼ばれる回数も多くなって……海苔を初めとした乾物がやたらとたまっていくのだ。
「……となると、ご飯、卵、赤ウィンナー、そして海苔……確か冷蔵庫の中には味噌もあったし……」
「お、佐藤、何か思いついた?」
「著莪、晩飯にお握り作らない? んで、卵焼きと赤ウィンナーの炒め物。あと味噌汁」
 なんかお弁当か朝ご飯みたい、と著莪は笑う。
「貯蔵庫に何か野菜もあったし、それ味噌汁に入れたら丁度いいか。あとは……うーん、一応、何かメインディッシュみたいなおかずもあったらいいんだけど……佐藤、冷凍庫は見た?」
「まだだけど。何かあるかな……っと」
 冷凍庫を開けると、一体何が入っているのかわからない小袋やら何やらと共に、一つ異様な固まりが僕らの目に止まった。子供の頭ぐらいはある、謎の黒っぽい肉のブロックである。
「……肉かな」
「……肉だね」
 僕らは手にしたそれをお互いに眺めつつ、しばし考えた。……何の肉だろう、と。
 少なくとも僕らが知っている牛肉、豚肉、間違っても鶏肉ではない。となると思いつくのは……この山に住む、何らかの獣の肉だろう。
「ねぇ、佐藤。やっぱりこういうのは……ステーキかな?」
「多分、それが一番手っ取り早いよね。……とりあえず、ガチガチだから常温に置いておこう」
「ま、他の料理作っている間に解けるよね。……そんじゃ、久々に二人で料理といきますか」
 著莪がわざとらしく腕まくりし、僕は「と言っても、大した料理じゃないけどね」と笑った。
 とりあえず僕らは一番時間がかかるであろうご飯に最初に取りかかる。お米を研いで、炊飯器に入れて、早炊きモードでスイッチオン。お米は水に漬けたまま少し置いといた方がいいという話は聞いたことはあったが……今の科学技術はきっとそこら辺の問題ぐらいクリアしているに違いない! ……と、著莪が言ったのでそれを信じてみることにした。というか、二人とも何だかんだでお腹が減っていて、水に漬けたまま置いておく余裕がなかっただけなんだけど。
 さぁ、ご飯が炊きあがるまでの間に、ウィンナーを炒め、玉子焼きを作らなくては。
 僕はフライパンを火に掛け、サラダ油を垂らして菜箸を手にする。その横で著莪は何故かまな板と包丁を取り出していた。
「ねぇ、佐藤佐藤。折角だからこの赤ウィンナー、タコさんウィンナーにしよう」
 僕はフライパンの火をそっと消し、著莪の目を見ながら頷く。
「前々から薄々感じていたけど……お前は天才か」
 そう言うと、僕らは二人して笑い合った。
 何だかわかんないんだけど、二人で料理をしようと決めてから僕らのテンションが妙な具合に高くなっているのは……何故だろう?
 僕らは並んでそれぞれで包丁を使い、赤い肉の棒から、タコさんを作るという錬金術師もビックリな所業を開始した。一体これで何を等価交換で求められるのかはわからないが、僕らは恐れずに包丁の刃を赤ウィンナーに差し込んでいく。
 スッ、スッと、二度包丁を使うだけであっという間にでき……アレ? 著莪の奴、何やってんだ?
 僕の視線に気がついたのか、難しい顔をして包丁を使っていた著莪は眼鏡を掛け直しつつ、言う。
「いや、タコなんだから、やっぱり八本足にするべきなんじゃないかな、と」
「……なるほど」
 言われてみると確かにそうだ。僕が作ったタコさんウィンナーは四本足。これではタコといよりは……謎の赤い物体である。やはり八本足こそが、タコの証明じゃなイカ。
 僕は著莪の指摘を素直に受け入れ、早速四本足の赤い物体に、さらに包丁の刃を向ける。さぁ、今すぐお前をタコさんにしてあげるよ……とかマッドサイエンテイストな感じで作業しようとしていたのだけれど……いやぁ、アレだよね、八本足って割と難しいよね。言ってみれば四回包丁で切るだけなんだけど、そんなに良く切れる包丁じゃないってのと、赤ウィンナーが四本足になった段階で結構耐久性に難があるというか……簡単に言うと、何か足が千切れたり、潰れたりして、イマイチ僕らが理想としたものとは違うものに。それこそウィンナーが謎の赤い物体に成り下がっていく。
「あっ、また……。著莪、そろそろ僕の心が折れそうなんだけど……。四本足で我慢しない?」
「……ヤダ。四本足のタコなんて、タコじゃない! それにほら、成功しているのもあるんだしさ」
 自分で言い出したせいなのか、それとも途中までやってしまった以上意地になっているのか知らないが、著莪は最後まで頑張る気らしい。仕方ないので、僕もそれに付き合うのだけれど……結果的に凄惨な代物が出来上がってしまった。切り終わったやつはボールに一まとめにしておいたのだけれど……何というか、宇宙人の墓場みたいに……。それは著莪がフライパンで炒め始めると、良い具合に足が反り返り、焦げ目がついたりして……ますます凄惨さを増していたりした。
 さて、それはそれとして、途中から僕は味噌汁の方にとりかかっていた。さすがにこれはしくじる要素がないので、サッと味噌を入れ、具材には貯蔵庫で見つけた太い大根を薄く切って、良く洗った葉っぱの部分と一緒に投入してみた。
 そして僕が味噌汁調理中に、ウィンナーを炒め終えた著莪は玉子焼きに取りかかる。生卵をボールに割り入れ、雰囲気で少量の砂糖と塩、みりんなんかも入れてかき混ぜると、玉子焼き用の四角くて小さいフライパンを火にかける。
 著莪は菜箸を手にしながら、解いた卵をフライパンに投入。玉子焼きの製作を開始すると……何ということでしょう、あっという間においしそうなスクランブルエッグが出来上がりました。
 ……いや、何となくわかってたんだけどさ。僕も出来ないし。
 これからはアレだな。『現実と理想の差は玉子焼きとスクランブルエッグの差に等しい』という言葉を世間に提唱していくことにしよう。
「ま、まぁ、食べれば一緒だよね、うん。だよね、佐藤!?」
「う、うん、まぁ、そうだよね」
 さすがにここで否定してもしようがないので、僕は苦笑いしながらスクランブルエッグを皿に盛っている著莪に、同じような顔をして同意しておく。
 そんな時、何やかんやで時間がかかっていたせいか(というか主にウィンナーの切り込みのせいだけど)、丁度良いタイミングでピーっと電子音が鳴り響き、ご飯が炊きあがった。
 さすがに炊きあがった後は少し蒸らした方がいいだろうということで、とりあえずそっちはそのままにしておいて、僕は先に洗い物を済ますことにした。
 最初、著莪もやろうとしたけれど……バイクで寒い思いをした彼女に冷たい水作業はさせたくなかったので、彼女には海苔の処理をお願いする。半分に切ったり、軽く火で炙ったりしてくれ、と。
 著莪はキッチンバサミでサッと海苔を半分にし、お握りに使いやすいサイズにすると、それをガスコンロの火で炙ってくれる。
「あ、先に炙ってから切った方が楽だったか。失敗しっぱ……おっ! 海苔がしおれてく」
「お〜。でも、あんまりやったらやっぱり焦げちゃうんじゃない?」
「それもそうか。じゃ、もぅちっと遠火で……って、燃えたああぁああぁぁあぁぁあああ!? 佐藤!! 海苔が燃えちゃってるんだけど!!」
「著莪水、水!! 早く流しに突っ込め!!」
 ぬぅおぉおぉぉお〜と、著莪は慌てて、僕が洗っていた泡だらけのボールの中に投げ込もうとするものの……いやぁ、所詮は海苔だよね。軽いの。もうね、コンロから流し台までの間に勢いが失われて、メラメラと燃えながら流し台の下のマットにダイブ。しかも悪いことにマットが起毛タイプだったから……火が、凄いことに。物事の勢いの良さを燎原の火が如くって良く言うけれど、まさにそれ。燃える燃える。マズイことを書いちゃったブログみたいに炎上し始めやがった。
「うわあぁあぁぁあ!! マットが燃えてる、燃えてるぞ著莪!?」
「佐藤、踏め! 踏んで消すんだ!!」
「素足だぞこっちは!」
「こっちだって素足だっての!」
 まずい!! 火がなかなかに笑えないレベルになってきやがった!?
 もうメラっていうか、メラミのレベル。このままでは大変なことになってしまう!?
 こういう時に役立つのは捨て駒として使い勝手の良い石岡君なのだけれど……さすがに彼はここにはいないし、当然今から僕らの地元へ戻り、拉致ってくる余裕なんてあるわけもない。
「佐藤! 一秒を感じ取り、命を大切にし、女神を味方につけるんだ!!」
 一瞬著莪が何を言い出したのかと思ったものの、すぐにそれがかの有名なソニックチーム製作によるセガサターンソフト『バーニングレンジャー』の誓いであることを思い出す。未来、危険な災害に対処するために編成された特殊消防レスキューチームの活躍を描いた素晴らしいソフトなのだけれど、いかんせん、今、それでどうしろというのだ。
 さすがのバーニングレンジャーといえども海苔から延焼したマットの消火までしてくれるとは思えない。っていうか都合良く彼らがテレビ画面から飛び出てくるわけが……というか、テレビからゲームキャラが出てくる時点で宇宙の法則が乱れまくっている。
 ……だが、待てよ。よく考えてみると、むしろそういう場面だからこそ彼らは現れてくれるんじゃないのか!? それこそがヒーローじゃないかっ! 彼らなら……人々の生命{いのち}、希望、そして未来を守る僕らのバーニングレンジャーならもしかして!!
 僕と著莪は互いの目を見、お互いに考えていたことが一緒であることを確認。二人同時に付けっぱなしにしていたテレビをバッと見やった。するとそこには……うわぁ、飛び出る飛び出る〜。とかゲームで遊ぶ芸能人が言うものの、具体的にそのゲームの何が面白いのかがまったく伝わらない微妙なCMが垂れ流されているだけだった。
※当作品は大変愉快なフィクションであり実在のアレとかソレとかとはまったく関係ありません。
 もう、ダメだ。そう諦めかけた瞬間、天才的な僕の頭脳は妙案を思いついた。バーニングレンジャーが助けに来てくれそうにない上、石岡君もいない今……この状況を打破する方法は一つしかない。そう! ドMの内本君である。彼なら喜び勇んで全裸でこの炎の上にダイブしてくれ……奴もいねぇよ!!
 ……大丈夫、大丈夫だ、落ち着け、僕たちと炎のゲームは始まったばかりだ。まだ慌てるような時間じゃな――
「佐藤何いきなり落ち着いた顔し出してるんだよ! 諦めるんのなしだって!!」
 はっ! 慌てふためく著莪の呼びかけに僕は正気を取り戻す。っていうか、何で僕は目の前の現実から逃避しようとしていたんだ!?
 クッ! どうしたらいいんだ、このままではゆくゆくは家に燃え移り、果ては山全体が炎に包まれ、まさに辺り一体が『黄泉の国』と化してしまう!!
 くそぅ、まずい。山には雄大な自然や多くの野生動物たちが……それらが全て燃えてしまうなんて何という悲劇だ。人はどうしてそんな過ちを犯し続けるのだろう。悲しい。人はいつになったら――。
「だから佐藤! 落ち着くなっての!!」
 はっ! 何ということだ、極自然な流れで二度目の現実逃避だと!? この僕ともあろう男が!?
 どうやら僕は自分で思っている以上に焦っているらしい。ヤバイな。ここは一旦あえて落ち着かなくては。
 僕はそう判断すると、食器棚からコップを取り出して水道水を注いだ。この辺りの水道水は田舎だけあって、水道水もなかなかにおいしいのだ。何よりこの季節はもう身を切るような冷たさなので、氷なんていらない。――ぬふぅ、うまい。
「いやいやいや佐藤、何飲んでるんだよ! その水で火消せっての!!」
「はっ! そうか、その手があったかっ!!」
 っていうかよくよく考えてみると、目の前に流し台があるのだからいくらでも水が使えるよね。
 ……人間慌てるとこんなにも目の前のものが見えなくなるんだな……。
 僕は再度コップに水を注ぎ、メラミな状態の炎にぶっかける。
 いやぁ、それだけで呆気ないぐらいに消え失せたね、火。っていうか、すげぇ燃えてるように見えたんだけど、消えた跡を見てみると、どうやら表面の起毛だけが燃えていたようで、マット自体には穴も空いていなかった。
 僕と著莪はお互いに安堵し、笑い合い、そして焦げた上にびちゃびちゃになったマットを二人で丸めて、ゴミ袋に突っ込んでおいた。火事……いや山火事を防いだと言えば、爺さんも笑って許してくれるだろう。
 それはそれとして、いよいよお腹も減っていたので僕らは気分を変え、ようやく主食になるお握りの製作を開始した。
 とりあえずどうやって作るんだったかは忘れたけれど、確か手を濡らして塩を振り、それで握れば良かったはずだ。
 著莪が炊飯器の蓋を開けると湯気が立ち上る。炊きたてのご飯特有の、いい匂いが台所に広がった。中の容器を「アツッアッツ」と言いながら著莪は流し台の上に取り出し、しゃもじで軽くご飯をほぐす。
 その間に僕はお握りを並べるための、大きな平皿を用意した。
「んじゃ、佐藤、準備は?」
「OKだ。来い」
「そぉれ」
「……アッツァアァァアアアァアア!!」
 いや、よくよく考えてみると当たり前だよね、マット炎上とかで多少時間経過したけど、ほとんど炊きたて同然のご飯だもの。濡らしたからといって、素手では熱いに決まっている。
 著莪がお腹に手を当て、体をく≠フ字に曲げるようにして大笑いしているのを尻目に、僕は必死になって団子状のものを作り、それを左右の手でお手玉するようにして何とか熱を逃がす。米農家の方が一生懸命に付くってくださったご飯である、いくら熱いからといって投げ出すわけにはいかんのだっ!!
 手が火傷するんじゃないかという恐怖の中、僕は何とか……しかし見事にお握りを作り上げる。……若干いびつだけど。
「おらぁ、出来たぞ!」
「うわぁ、いびつっていうか……なにこれっ? てレベルじゃん」
「誰がどう見たってお握りだって!」
「わかるんだけどさ、丸くもなければ……三角でもないよね」
「何言っているんだよ、著莪。こっちからこの辺をよぉく見てみろ」
「んー……ん?」
 そう、僕のゴッドハンドが作り出したお握りは……ある一定の方向から見ると三角形……ぽく見えなくもないのだ。そう、たまにあるじゃないか。傍目からは何だかわからなかったり、普通の絵だったりするんだけど、ある方向から見たりしたら何とそこにはビックリするような絵が浮かんだりする……そう、ある種の騙し絵。つまり僕のお握りもそれと一緒で、もはやアートの世界なのだ!! ……と、著莪に力説してみるものの……。
「あー、うん。努力は認めるけど、これで三角形だって言い張るのは……ちょっとなぁ。立体で物考えろよ、佐藤」
 そんなこというならやってみろよ、と今度は僕がしゃもじを持った。濡らして塩を振った著莪の手にご飯を投下。……しかし案の定……。
「あっつぃって佐藤! ちょっと! ちょっと!!」
 著莪が飛び跳ねるようにして手の熱さと格闘する。長い金髪と彼女の胸元が揺れた。そして必死な彼女の有様に、僕の笑いを誘う。
「はいっ、出来たっ!」
 ポンっと皿の上に置いた著莪のお握りは……これこそ、何だコレ? レベルである。丸いといえば丸いんだけど……いびつ過ぎてジャガイモみたい。
 手にくっついたお米粒を食べる著莪に、その旨正直に伝えると、彼女は僕のケツに蹴りを放ってくる。
「うっせー。……そもそも人間の手で三角形なんて作れないんだって。手はもっと丸くて優しい形のものを作――」
「さっきは僕のお握りを完全否定したくせに……」
 もう一発蹴りが来た。
「わかったよ。そんじゃ今度はちゃんとしたの作るから。ホラ、佐藤、来い」
 ……そんな感じで僕らはお互いにお握りを無数に作った。総じて言えるのは、僕の方がお握りは三角形っぽく、著莪のは相変わらずジャガイモばかり……というか、途中からすでに諦めて丸いタイプのに切り替えていた。
 僕はちょっとした優越感を感じつつ、居間のコタツに炒めた宇宙人ウィンナー、スクランブルエッグ、炙り立ての海苔(一部炎上)、味噌汁、そしてお握りを並べていく。
 おいおい、何だかんだで良い感じじゃないか。
 僕と著莪は居間に並べた料理を見ると、お互いに満足げな顔で、タッチした。

――いただきます!
 コタツに入った僕らは、対面に座り、手を合わせた。
 とりあえず何やかんやで喉が渇いていたので、僕らは麦茶で軽く乾杯。喉を潤した後は、早速お握りに手を伸ばす。
 著莪は、最初に僕が作ったのに手を伸ばしたので、同じように僕も著莪が最初に作ったのを手に取った。あのジャガイモ型お握りである。そして、炙った海苔を自分で巻く。どん兵衛の後載せサクサクがごとく、後巻きパリパリといったところだ。
 著莪と共に、それぞれの海苔を巻いたお握りに齧り付いた。パリ……じゃなくて、バリッという海苔の気持ちの良い食感。さらにその海苔が放つ香ばしさがたまらない。そして口の中でほどけていくような優しい握り具合に未だ温かいご飯の具合は、何だか著莪の手の温もりが伝わってくるようだ。
 塩はちょっと足りない気はしたけど、他におかずがあることを考えるとこれで十分。何よりコンビニのお握りとかと違って大きいので、がぶりといけるこの感じ……手作りならではのそれが僕に満足感を与えてくれる。
 著莪が、口をもぐもぐさせながらも、ニッコリと僕の顔を見てくる。
「うん、いい感じじゃん! うまい。それに、こうして食べると意外に三角形っぽいのもわからないでもないかな」
 ……何だろう、急に褒められると、ちょっと困る。
「こっちも、ジャガイモっぽいけど……その分握りが優しいから口にしたらすぐにほぐれる感じで、いいじゃん」
 取り敢えず褒め返してみた。別にお世辞ではなく、実際そう思っていたし。
 すると著莪は、にへへ、という笑顔を浮かべ、パクパクとお握りをまた食べ、そして味噌汁を口にする。
「……あれ? 何だろ、これ……」
「ん? 何か味噌汁入ってた?」
「……う〜ん、っていうか……むしろ入ってない?」
「何が?」
「出汁」
「……あぁ、よくあるよね。普段料理しない人が味噌汁作ったりすると、出汁を入れ忘れちゃうっていうパターン。だが、甘いぜ、著莪。まるで砂糖を入れすぎた玉子焼きのようだ。僕はちゃんとそこら辺も抜け目なくやったよ」
「いいから自分で飲んでみろって。わかるから」
 著莪のやつ、味音痴にでもなったのか?
 僕は彼女を訝しげな顔で見やりつつ、我が手作りの味噌汁に口をつける。ずずぅ〜っと……。うん、味噌の塩気にほんのりと大根の素朴な匂い。そして口の中に豊かに広がらない出汁の風味。すっげぇスッカスカという印象で……アレ?
「……何だろう。味噌汁っていうか……味噌の汁っていう感じが……あれ?」
「でしょ? 佐藤、出汁ってどうやって入れた? 顆粒タイプ?」
「いや、味噌に出汁入りってあったから……それで……」
 著莪は、やれやれ、というように頭を振った。
「温泉に無料で置いてあるリンスインシャンプーと一緒だよ、佐藤。そういうの、信用しちゃダメだって。一応そういうのも入っていないわけじゃない、っていう程度に考えておかないと」
 なるほど……そうか、この手の味噌ってのはそういうものなのか……。何だ、このやられた感は……。
「……スッカスカなのはこの味噌汁なのか、それとも僕の心なのか……」
「豪華俳優陣で送る本格ハードボイルド・ムービー、『味噌の汁』!」
「……その味噌汁には、裏切りという名の味がした……」
 カミングスーン、と著莪は最後に言って、笑った。僕も苦笑する。
「……ごめん、著莪」
「別にいいって。スッカスカってだけでマズイわけじゃないしね。飲める飲める。大根にもちゃんと火が通ってるし」
 著莪はニッコリと笑ってみせて、箸で赤ウィンナーを食べる。僕もまたそれに倣うようにして、ウィンナーを口にした。
 うん、いつ食べても妙な懐かしさを感じるあの独特のチープな味と、あらびきなんて言葉とは無縁のあのもっさりした食感。塩コショウで味付けしただけのそれは、何だか無性においしい。不思議とお握りにピッタリである。
 続けて玉子焼き……になる夢を抱いたまま果てたスクランブルエッグに箸を向けるが……箸じゃダメだな、コレ。
 とりあえず箸先でひとつまみ分口に運ぶ。……うん、味はちゃんとしてる。……というか、さすがにこれは、調味料の入れすぎでもないと失敗のしようがないか。
 このままでは食べにくくて仕方ないので、僕は一旦コタツから出て、大きめのスプーンと二人分の小皿を用意し、取り分けることにした。
「何かさ、ウィンナーとスクランブルエッグって、洋食の朝ご飯みたいだよね」
「うっせー、最初はうまくいってたんだって。三回目の巻きで失敗して……あぁもぅ」
「いいって、いいって。味はちゃんと和風っぽいし、主食はお握りだし、余裕で日本な感じだって」
 スクランブルエッグを取り分けた小皿を著莪に差し出すと、サンキュっと言って彼女は受け取るのだった。
 ――その夕餉は、素朴で、ヘタクソで、何かが微妙に足りない。けれど、不思議と満足感のある、二人だけの夕食だった。……と、綺麗にまとめたいところなのだけれど、そうもいかない。
 作り過ぎたお握りが若干残ってしまったのは、かわいい孫から愛する祖父へのプレゼントにすれば良かったんだけど、一つすっかり忘れているものがった。
 そう、例の謎の肉である。
 ウィンナーとスクランブルエッグを食べ終えた僕と著莪は、食器を流しに持っていって、ようやくその存在を思い出したのだ。こっちはもう満足いっていたものの……好奇心と肉の塊が発する求心力に僕らはまな板と包丁を取り出した。
 しかしながら全然解けていないそれは、僕らが考えていたように、ステーキ的なカットは出来ず、表面を薄く削るようにして、焼き肉のような形で切り出すの精一杯だ。
 んで、塩コショウ振って焼いてみたのだけれど……。
「「うっわっ!! 獣クサッ!!」」
 声をハモらせながら、僕らは愛する祖父へのプレゼントを追加した。


 謎の肉ブロックを冷凍庫に再封印し、孫の手作りお握りと獣臭い焼き肉セットをラップで封じると、著莪あやめは従弟と二人して一生懸命に歯を磨いた。それでも何だか匂いが残っているような気がしたので、最後は祖父が使っているモンダミンで口をゆすいで全てを終わらせた。
 折角さっきまで何だかんだで良い感じの夕餉だったのに、最後の肉で全部持ってかれた気がして、著莪は何だか悔しい。とりあえず、あんな肉を冷凍庫に入れておくという危険なことをしたのだから、謝罪の意を込めて、祖父からはたんまりとお小遣いを貰わなくてはなるまい。
 そんなことを考えながら、著莪は夕餉に使った皿を洗う。水は冷たく、たまに手に息を吹きかけた。
 一応温水も使えるのだが、佐藤が風呂に入っているので、ちょっと気が咎める。というのも、祖父の家の給湯システムはいささかポンコツであり、風呂でシャワーなどを使っている間に、ヘタにキッチンなどでお湯を使うと、熱湯か冷水のどちらかが気まぐれに噴き出すのだ。
 著莪は皿を洗い終わると、手拭き用のタオルで冷たくなった手を包む。
「……やっぱり佐藤に甘えておけば良かったかな」
 著莪は一人呟き、小さく笑う。本当は皿洗いも佐藤がやると言っていたのだが、あんまりに気を遣われすぎるのも何か嫌だったので、固辞したのだ。
「さて、と。さっきのアレ、引っ張り出すかな」
 著莪は手の冷感が消えると、早速キッチンの床にある取っ手を引っ張った。貯蔵庫の扉である。重いそれを引き上げると、中をのぞき込み、先程大根を取り出した時に見つけた大きな瓶を捜す。
「あったあった。これこれ」
 著莪が貯蔵庫の中に落ちそうになりながらも重い瓶を引っ張り上げ、張られた手書きのラベルを照明に当てた。そこには祖母の時で『リンゴジュースの素』とある。リンゴジュースはここしばらく味わっていなかったので、恐らく今年の秋頃に作られたばかりのものだろう。
 それは祖母が暇に任せて作る、カットした果物を加熱し、蜂蜜または砂糖で煮詰めたものだ。要はほとんどジャムなのだけれど、ジャムほどには固くないので、ジュースの素という扱いである。あまりパンを食べないこの家らしいところであり、そしてそれなのにそういうものをいつも大量に作るのが祖母らしい。
 ともかく、これを氷水や、祖父が晩酌に使う炭酸水などで割ると、加工品ではありえないような甘酸っぱくて、芳醇で、それでいてとても自然な味わいのフルーツジュースが出来上がる。夏場ならジュースはもちろん、かき氷のシロップ代わりにも使える優れもの。小さな頃から著莪も佐藤も大好きだった。
 冬場はあまり口にしないが、先程見かけてから気になっていたのだ。
 著莪が居間で氷やグラスを用意していると、頭にタオルを載せ、体から湯気を上げるパジャマ姿の佐藤が現れた。
「著莪〜、あがったよ〜。……お、それって」
「うん、そう。さっき見つけてさ。今、飲もうかと思ったけど……アタシは風呂上がりの一杯にしようかな。佐藤、先に飲んでていいよ」
 ホント? 悪いね、と言って佐藤はコタツに入ると早速リンゴジュースの素の瓶の蓋を開けようと格闘する。何か、硬いらしい。
 ま、頑張ってて。そう言い残して著莪は居間を出ようとした……その時、プッシューと音。そして、ふわぁ〜っとたまらなく甘酸っぱいリンゴの香りが広がった。
 その香りに、著莪はちょっと後ろ髪を引かれる思いだったものの、我慢我慢と、着替えを持って風呂へと向かった。

 果たして数十分後、ゆっくりと風呂を楽しんだ著莪は長い髪の水気をタオルに吸い取らせると洗濯機の中に入れ、パジャマを着る。……が、何だか胸元がちょっとキツめ。
 この家に来ることも多いので、佐藤共々パジャマなどの着替えは置きっぱなしになっているだけれど、よくよく思い出してみるとさっきの佐藤のパジャマもややつんつるてん≠ノなってきた印象だった。
「……うーん、ま、いいんだけどさ」
 別に圧迫感で苦しいという程ではないのだけれど、ブラをしていないのでいささか胸の形が明確だ。さすがに佐藤しかいないとはいえ、どうしても多少の恥ずかしさが出てしまうのは致し方なかった。
 仕方ないので乾いたタオルを首からかけ、それを胸元まで垂らすことで少し誤魔化すことにした。
 著莪は未だ湿った髪のまま、手にドライヤーを持って居間に向かう。一緒の時は彼が髪を乾かすのが二人の暗黙のルールだ。
「佐藤〜、あがったよ〜」
 ドライヤーのコードを軽く振りながら、言うと、居間の方から「……お〜」と何だか頼りない声が。
 おや? と、思いながら居間に行くと……。
「アレ? え? ……佐藤、ちょっと!」
 居間に行くと、コタツに半身を入れたまま、佐藤が仰向けに倒れていた。しかも顔を赤らめ、目が虚ろであり……。
 著莪は慌てて佐藤の元に走り寄り、膝立ちになって彼を抱き起こし、額に手を当てる。熱い。
「え、ちょっと、佐藤……。あぁもぅ、ちょっと待ってて布団敷いてくるから」
 著莪は慌てて居間の隣にある座敷を見やったが、そちらにはすでに二組の布団が並んで敷かれていた。どうやら自分が入浴している間に佐藤が用意してくれたようだが……はて、熱にうなされながら用意したのだろうか?
 著莪が困惑していると、腕の中で佐藤がもがき、立ち上がろうとし始める。
「髪、乾かすんだろ。……ドライヤーは?」
 えっと……と、著莪はさっきまで手に持っていたドライヤーを意識したが、今その手は佐藤の体を支えている。振り返ってみると、ドライヤーは肩にかけていたはずのタオルと共に床の上を転がっていた。
「……ん? ちょっと、佐藤……」
 立ち上がろうとしたのがうまく行かなかったのか、よろめいた佐藤は著莪の胸に顔を埋めるようにしてガックリと膝を落とす。
「……いつの間にか……大きくなったよな」
 胸から佐藤が顔を上げると、彼は力ない声でそんなことを言う。
 今のはわざとというわけではないようだし、著莪もこんな時にそれをどうこう言う気はなかった。
「佐藤もね。髪、いいから、とりあえず……ん?」
 間近で佐藤と見つめ合っていると、ふと、著莪の鼻先がある匂いを捉える。何で? と思いつつも、著莪は佐藤にキスをするように、首を傾けながらさらに顔を近づけ、鼻先を彼の口元に近づけた。
 吐息が……あの獣臭い焼き肉の匂いでもなければ、モンダミンのそれでもない。甘酸っぱいリンゴの爽やかな香り……と、ほんのわずかに、アルコール臭が……。
 著莪は悪いことした犬を叱りつける飼い主のように、佐藤の顔を両手で?み、間近でその目を見やる。
「……佐藤、お前、酔っぱらってるだろ?」
「え? まさかぁ。呑んでないって。ずっとリンゴジュースだけで……」
 もしや、と著莪は佐藤を放り出し、リンゴジュースの素の瓶の蓋を開け、匂いを嗅いだ。芳醇なリンゴの中に……間違いなく、アルコールの香り。
「あ〜、これ、まさか……」
 最初はリンゴの香りが強いが故に、気がつかなかったのだろう。
 著莪は試しに佐藤が浸かっていたグラスに原液をお玉で掬って入れる。ワインをテイスティングするように、鼻先を近づけて香りを嗅いでから、口に含んでみた。
 何故かほのかに炭酸の舌触り。そしてリンゴを濃縮したような濃厚なのに瑞々しい香りに、蜂蜜のうっとりとするような香りが調和している。それらは舌や喉を通ると口から鼻に心地良くスルリと抜けた。
 そして、その味わいは……甘い。まず、それだ。しかし甘すぎない。かき氷とかに掛けて食べた記憶を思い出すに、この味はおかしかった。ある程度糖分を高くしておかないと雑菌やカビが繁殖してしまうためである。しかし香りに嫌な臭みも、体が嫌がるような酸味もない。代わりに、喉を通った時に、スーっとほのかに感じる優しいアルコールの爽やかさ。
 ……これは、間違いなく、酒だ。それも後から酒を足したとかいうのではなく、リンゴと蜂蜜の糖分によって発酵したものだろう。アルコールとリンゴ、蜂蜜の味の馴染み方があまりにも自然過るし、アルコールの嫌な臭みなんてこれっぽっちもない。
 著莪はイタリアに住む母方の祖父{ノンノ}の家で、今年の夏にワインを振る舞われた時を思い出す。イタリアでは一六歳から飲酒が許されるので、日本国籍とはいえ、著莪も飲酒が許されていた。
 その時に聞いた話は……いわゆる酒というのは、酵母菌が糖分を分解してアルコールを発生させて造られるものなのだという。そしてその酵母菌というのは自然界ではどこにでもいるものであり、ひょんなことからジャムにそれが入り込むと、それは……。
 そこまで思い出して、著莪は大凡の事態を察する事が出来た。恐らく祖母がこのジュースの素を造った際に、加熱が足りず、完全には殺菌されずにリンゴに付着していた酵母菌が生き残ってしまったか、または密封する前に風に乗ってきた酵母菌が瓶の中に入り込んだかしたのだろう。そして秋から今になるまで、低温の貯蔵庫の中でゆ〜っくりと時間をかけ、糖分を分解して発酵していったに違いない。
 何より、よくよく思い出してみると佐藤が蓋を開けた時に、プッシュー≠ニ音がしていた。それが何よりの証拠である。あれは恐らく酵母がアルコールを造った時に発生する二酸化炭素{ガス}だ。
 そう考えると、今目の前にあるのは天然酵母による偶然の発酵が生み出したリンゴと蜂蜜のお酒……。ちょっと高級感すら漂う代物だ。
 著莪はまだ酒の味をわかるほどアルコールに慣れ親しんではいながいが、このリンゴジュース……いや、リンゴ酒は恐ろしく飲みやすいというのはわかる。原液でありながらスルリと喉の奥に消えていき、口にはリンゴと蜂蜜の風味しか残らない。無論、くど過ぎる甘さも、そこにはない。見事なリンゴ酒である。
 これは確かに何も知らずに、炭酸水とかで割ってしまえばわからないだろう。
「佐藤、これ……ん?」
 プツンっと垂れ流しでついていたテレビが消え、代わりにブォオォ、と音。そして、著莪の髪にドライヤーの温風が当てられる。
 著莪が酒をテイスティングしている間に、佐藤は髪を乾かす準備をしていたらしい。
 しかしながら空いているコンセントもあるだろうに、わざわざテレビのを引っこ抜く辺り、佐藤は結構酔っぱらっているようだ。
「熱が出てないんなら……ま、いいか」
 佐藤は体に染みついた習慣なのか、酔っぱらいながらもいつもと同じように著莪の髪にドライヤーを当てていってくれるので、そこら辺はすぐに心配するのを辞めた。著莪は一安心して、コタツに入る。
 自分ももう少しリンゴ酒を楽しもう。
 ……そういえば梅酒のように果実をお酒に漬け込んで風味をつけたりするのは合法だが、酒そのものを許可無く造ったりすると犯罪だったような気がした……が、著莪はあえて難しいことは忘れることにした。どうせ事故で出来たものだ。悪意はない。
 何より、ここには佐藤と自分。二人っきり。だから……いいじゃないか。
 著莪は佐藤に髪を乾かされる感触を楽しみながら、炭酸水とリンゴ酒の原液を割った。氷を入れて、飲む。うまい。風呂上がりの体に染みこむようだ。いつもの祖母のジュースと違って、甘みがなく、アルコールが発生しているせいか、スッキリとしている印象が強かった。これは夏場にキンキンに冷やして飲んだら……相当なものだろう。
 あっという間に二杯目を飲み干し、三杯目を半分ほど空けたところで、ドライヤーの音が止まる。
「佐藤、おしまい?」
「……かな」
「んじゃ、佐藤もコタツ入れよ。寒くない?」
「ん〜……」
 佐藤の応対は何だか歯切れが悪い。酔っぱらっているせいだろう、と思い、著莪はグラスのリンゴ酒に口を付ける。すると、佐藤の両腕が著莪の胴にゆったりと巻き付けられてくる。
「……なんだよ」
 佐藤は応じず、膝立ちのまま体を寄りかかるように密着させると、著莪のうなじに唇を付けるように長い金髪に顔を埋めてきた。鼻から大きく息を吸い、そして吐き出した彼の吐息が、くすぐったい。
「少し……こうしていたい」
 あまりはっきりとは言わないまでも、佐藤はこうして髪に鼻をうずめて犬のように匂いを嗅ぐのが好きなのは著莪もさすがに知っている。だが、ここまでストレートに来たことはあまりなかった。
 著莪はグラスを傾けながら苦笑する。
「別にいいけど、今日のは佐藤のと同じシャンプーとトリートメントだよ」
 それでも……こうしていたい。それはいつものような張りのない、佐藤の声。でも、耳のすぐ近くで囁かれるそれにはどこか重みがあるように聞こえた。
 ……何だかパパがママを口説いている時みたいだな。著莪はそんなことを感じながらリンゴ酒を飲み干す。苦笑は、いつの間にか消えていた。
 著莪は四杯目を作ろうかと思ったが、瓶の原液をグラスに入れるためには一度佐藤の腕から抜けて、お尻を上げなくてはならないだろう。
 別にどうということはないが……著莪はとりあえず四杯目は後にして、しばらく佐藤の好きにさせておくことにした。
 うなじを擽るような佐藤の吐息、背中に包まれるような彼の体温。
 慣れ親しんだそれではあったが、ただ、これに沈黙が加わると著莪もどうしたものかわからず、彼女もまた口を閉じて眼鏡を掛け直すぐらいしか出来なかった。
 らしくないな。自分はそうでもないけど、佐藤が、らしくない。
 グラスの中の氷が鳴る。妙に、よく響いた。
 家の外は物音一つしない。
 何となく、著莪は居間の窓を横目で見やる。カーテンを閉め忘れていたそれには、夜の闇と同化するような木々と……そして、背中を従弟に抱かれる自分の姿。
 自分たちにとって当たり前といえば当たり前のそれが、何だか、こうして端から見てしまうとちょっとした恥ずかしさを覚える。酒のせいもあるのかもしれない。鼓動が少し早い。抱かれている以上に、体が温かい。
 何だか見ていられなくなって、著莪は眼鏡を外してテーブルの上に置いた。
 ふぅ、と著莪は一息。
「ねぇ、佐藤……?」
 特に用事はなかったが、呼びかけてみた。何も声は返ってこなかった。
 著莪はまた、どうしていいか、わからなくなる。
 そんな時、佐藤がそっと動く。もっと寄りかかってくるように、著莪のうなじに唇を這わせながら、肩に彼が顎を載せてくる。
「もう、なんだよ〜」
 別に嫌というわけではないが、どうしていいのかがわからず、著莪は少し困る。
 だから、著莪は首を曲げて、佐藤に頬ずりするようにして、唇の先で彼の唇を捜す。
 困った時はキスしとけば大抵有耶無耶になるから。小さな頃から母に聞かされていたことだ。日本にかぶれちゃった自分が大好きな自称日本人のイタリア人なのだけれど、そういうところだけは故郷を捨てられないらしかった。そして自分にも、半分その血が流れている。著莪は佐藤と一緒にいると、たまにそのことを意識する時がある。
 今日のような、そんな日に。
「……ん」
 著莪の唇は相手のそれに辿り着く。けれど、佐藤が応じてくれない。向こうが首を曲げてくれないと、さすがにちょっと、届かない。唇の端がせいぜいだ。
 何で? と、不安のような疑問を持っていると……あることに気がついた。
「……佐藤、お前……ひょっとして、寝てる?」
 同じペースで繰り返される、落ち着いた吐息が佐藤から漏れている。
 何より急に寄りかかってきたのは……寝落ちの何よりの証拠じゃないのか。
 佐藤の額を指でつついたりしてみるが、反応はない。これは、間違いない。
 何だか急に著莪は体が重くなったような気がした。そして、酒のせいか、独り相撲していた恥ずかしさのせいか、無性に体が熱くなってきた。
「何だよ、もぅ〜……ったく。佐藤は、お酒に関しては叔母さんの血を引いたんだなぁ」
 佐藤の母親の酒の弱さが著莪家の遺伝子を押しのけて息子に伝わったらしい。彼の父方に当たる著莪家は祖父を初めとしてその血縁関係のほとんどが酒には強いのだ。 
 著莪は一人ボヤきながら、無理矢理佐藤を抱きつかせたままコタツの上に手を伸ばして、何とかリンゴ酒をもう一杯だけ作ると、それを一息に飲み干した。
「……まったく。酔っぱらいの相手ほど嫌なもんはないなぁ」
 時計を見やる。まだ夜は浅いが、しかし、慣れない酒のおかげもあってか、何だか気持ちよく眠れそうな気がした。
「佐藤、もう、寝ようか。このまんまにしてたら、それこそ風邪引きそうだしね」
 そう言って、著莪はもう一度首を曲げる。
 そして肩に顎を載せている佐藤の唇の端にキスをしてから、著莪は眠る彼を抱きしめるようにして座敷へと運び込み、布団に寝かしつけた。
 それからコタツの上のリンゴ酒の原液等を片付け、最後に居間の明かりを消す。
 布団は一つで良かったのにな。著莪は温かくなった布団に潜り込みながら、そう思った。


 <了>