その三  沢屋叶雄VSコミュックマ

 コミュ科寮に入るなり、不気味な熊のぬいぐるみがうつ伏せで倒れているのが目に入った。
(こういうのは関わらないのが一番だ。何も見てない聞いてない)
 もちろん、ここは華麗にスルーだ。こういうのは必ず面倒な事になるから、いちいち相手にしてはいけない。さっさと部屋に行って引っ越しを済ませよう。
『ちょっと待つクマ』
「……」
 いつの間にか俺の背後に熊が立っていた。
(落ち着け……動揺したら負けだ。声色からして中身は男性のようだし、着ぐるみだって着てる)
 確かに、俺は中学時代『顔だけ男{フェイスマン}』と呼ばれ、コミュ力がない奴というレッテルを貼られていたが、さすがに熊相手なら大丈夫。
 俺が苦手なのは、女子と目を合わせての会話だ。
(中身が男な上に、かぶり物をしてるとあっちゃ、恐るるに足りないな)
『じゃあどうして無視するクマ?』
「……」
 まるでヘッドスライディングをカマした後の高校球児みたいな色をしている薄汚れた熊野郎は、俺の背後にビッタリと張り付いて離れない。歩きだそうとすると肩を掴んでくる。
『僕はコミュックマ。このコミュ科を取り仕切る最強最悪のケンカ番長クマ』
「とてもそうは見えないんだが……」
『っていうか君、カッコイイクマね?』
「そりゃどうも。よく言われるよ」
 ああそうさ。今までこのイケてるフェイスのせいでどんだけ苦労した事か。
『僕、いまんとこ君がナンバーワンクマ。ちょっと顔見せてクマ』
「なんだよ気持ち悪いな……」
『見せろ!』
「はい」
 鬼気迫る声で命令してくるふかふかの熊。空気穴から「ハァ、ハァ……イケメンや」と怪しい声が漏れてくる。
(なんだこいつ……まさかガチホモか?)
 待てよ。ここで俺は考える。
 この菱の実学園は、コミュ科以外に男子はいないはず。たとえばこの熊男がコミュ科生だとして、こんな早い時間に引っ越しを済ませてこんな犯罪まがいの待ち伏せをするだろうか?
(名簿には女子二人にしかチェックが入っていなかった……怪しい)
「おい、あんた一体……」
『いいからじっとしてろクマ! いいだろうが! ちょっとくらい触ったって、いいだろうが!』
「はい。仰る通りです」
 クソが。なんかアブネー匂いがプンプンするぞ。そして怖い。
 こんな熊ごとき、俺が本気を出したら一発で説き伏せてやるのに。
(だが、あいにく俺の能力『沢屋流零式交流術{SACS}』は、女子相手にしか通用しないものばかり。男子や熊が相手なら、自力で突破するしかない)
『君、名前なんて言うクマ?』
「沢屋叶雄……」
『パンツなに穿いてるクマ?』
「え……なんでそんなこと……」
『パンツの柄もしくは色、形態を教えろっつッてんだよこのガキが!』
「天狗です天狗。天狗のね、トランクスだ」
『分かってるクマぁ……ハァハァ……』
 よし、自力での突破は無理。能力必要。だってまだ学校始まってないし。明日から頑張る。
(だが、能力を発動するって言っても、相手は着ぐるみだし、通用するヤツあったかな……)
 ちなみにではあるが、俺の能力は主に女子とのコミュニケーションから身を守る為に作られた、回避・防御・逃亡に特化したものである。
 ホモ相手の肉体的攻撃に対抗できるものは、かなり限られるのだ。
『ねえ、このままお互いの素性隠してさ、部屋、来ない?』
 やばい。悩んでるヒマはない。
「いや、俺このあと彼女待たせてるんで……」
 沢屋流零式交流術{SACS}の一つ、『俺の股間は妻子持ち{オンリーベイビィ}』を発動する!
『それでもいいいからッ! 彼女に人数なんて関係ないでしょ!』
 ガシッ! 熊は俺の背後から抱きついてきた。これは、マジでシャレにならん。
(女子には試せなかったけど、ホモ相手なら仕方ない! 『前転膝十字{ネイビーシールズ}』を発動!)
 俺のこの『前転膝十字{ネイビーシールズ}』とは、後ろから羽交い締めにされた時に有効なコミュニケーションスキルだ。
 まず、相手の気を逸らす為に肘で頭部を威嚇。このとき、襲いかかったほうは上半身に注意が逸れるので、その隙に身をかがめ、両手で相手の片足を持つ!
『きゃっ!?』
 女みたいな声を出してももう遅いぜ。熊野郎。
 相手の膝を掴んだら、体重をかけてそのまま地面で前転する。
 起き上がった時には、相手の膝をキメて動きを封じ込んでいるわけだ。
『いたたたたた! 痛いって! ギブギブ! ちょっと緩めて!』
「もう乱暴しないか!?」
『ごめんなさいちょっと顔がカッコイイからという理由で性欲爆発しました! もう三日もエッチしてないんです!』
「なに言ってるか意味わかんねー!」
『ひゃあっ!?』
 熊が足を開いた拍子に、俺の肘が熊の股間にフィットする。
『あっ……これ、いいかも……』
 ちょっとばかりホールドが甘いようだ。俺はその体勢(もはやただの膝十字固め)から柔道の上四方固めにシフト。中学の時、女子柔道部員に何度もお願いされているうちに俺も使えるようになってしまった寝技だ。
『こ、ここでシックスナインとか……攻めるね』
「なに言ってんだこの熊……」
『あっ……』
 ふにっ。
 ん?
「なんだこれ、柔らかいのが腹に当たって……」
 それだけじゃない。俺の顔のすぐ下にある部位……言ってしまうと熊の股間に触れても、急所らしきブツがない。まさか、ガチ勢なのか? 工事完了している感じなのか?
「やだ……こんな展開、想定外なんだけどぉ……」
「ってえ!? 女の声!?!?」
 慌てて俺は寝技を解除。いきなり声色が変わった熊からすぐさま距離を取る。
「あらら? 変成器壊れちゃった……」
「その声……まさか面接の時に下ネタ言ってた先生……」
「げっ……」
「うわ! うわぁぁ!?」
 なんだなんだ!? 俺は床に落ちていた荷物を引っ掴んで、全速力でエントランスの中央階段を駆け上がる。
「す、すみませんでした先生! なかったことに!」
「あ、ちょっと君! むしろこれ絶対言わないで! 特にその……先生たちには! お金なら払うから!」
「そんなのいらないです! ごきげんようさようならァァ!」
 寮の廊下をスーパーダッシュする間、俺は自分のしでかした事をずーっと考えていた。
(女子とコミュニケーション取れるようになりたいっつったって……いくらなんでもアレは無理だろ!)
 だが、抗っても俺だって男の子。
 さっき触った熊の感触が、まだ手に残っていて……ドキドキした。
「面接の時、あの先生には『能力を使わずに女子とうまくやります』って言ったけど……」
 すぐには無理そうだ。今のは例外としても、次はいつ女子とガチンコのバトルが始まるか分からない。
(学校が始まったら、いつでも能力を使えるようにしておこう……あくまで保険として)
 そうだ。まだ高校生活は始まったばかりだから、いきなり完璧を求めてもしょうがないさ。
「でも……今のが着ぐるみじゃなくて、普通の女子だったらどうなってたんだろう……」
 本物の人間は着ぐるみと違って、俺の最大の弱点である目を見てくる。
 もし、最初から相手が女子だと分かっていて、目を合わせていたら? 本当のコミュニケーションだったら?
 俺は、能力を使わずに乗り切ることができるのだろうか……
「ま、まあさっきのはイレギュラーだったしな! ははは、ちゃんとクラスメイトと会話をしてみないと、コミュ力なんて分からないだろうし……こっからっしょ!」
 俺は、そう自分に言い聞かせ、とりあえずコミュックマとの激闘は無かったことにし、本番に備えることにした。
 だが、結局のところ俺は、部屋に戻った後も誰とも話さず、ひとりっきりで入寮日を過ごしたのだった。