特別書き下ろし 『その後悔はレモン味なのか?』

「くそっ!! 俺は後悔している!!」
「どうしたの、迅くん。ご飯食べてる途中で、いきなり興奮して。スプーン握ったままだよ」
 カレーを食べている途中、突如、叫び出した迅を見て、彼の幼なじみ小山神那は驚きの声を上げた。
 茶色の髪を幾本か細く編んで、リボンで飾った彼女は、大きな目を丸くする。
「あ……。いや、すまん。ちょっと思い出したことがあって」
 そう言うと、迅は握り締めていたスプーンをカレーが盛られた皿の上に置いた。
 落ち着こうと深く息を吸うものの、淀んだその目からは憎しみの色が消えない。
「悪いな。神那。せっかく夕飯に呼んでもらったのに」
「ううん。いいよ。わたしは一人暮らしが寂しいから、迅くんがこうして、ご飯を食べに来てくれるだけで嬉しいもん」
 神那が微笑む。
 迅はカレーを口に運び、味わう。その頬が自然と緩んだ。
「あいかわらず、神那が作ってくれるカレーはうま過ぎるな」
「褒め過ぎだよ。照れちゃう。えへへ」
 目を逸らした神那の頬はかすかに赤い。
「それで、迅くん。何を突然、興奮してたの?」
「あぁ……。それは俺の後悔。もう戻れない過去の過ちとでも言おうか」
「詩人だね。汚れちまった悲しみがなんとかだね」
「だいたい、そんな感じだ。そうだな……あれは、三年前。あいつらと俺が仲間だった頃だ」
 カレーを食べる手を止め、迅は過去に思いを馳せる。 ◆ ◆ ◆ 「ようやく見つけた……」
 迅は荒い息を吐きながらも、その男を睨みつけた。
 月明かりの下で、彼が追っていた男と、一人の少女が対峙していた。
 少女は細いアンダーリムの眼鏡をかけ、足元にまで届く長い黒髪を三つ編みにまとめている。
 彼女がまとう汚れひとつない白衣と、緋色の袴が夜闇に鮮やかに浮かび上がる。
 彼女は武速咲楽。それは迅が信頼する仲間の一人だった。
「咲楽様。ご無事ですか?」
 迅の傍らに立つ少女が言う。
 美しい金色の髪を持つ少女だった。
 大人びた美貌に、青い瞳がよく似合う。
 女性的な顔つきとは裏腹に、彼女は男物のスーツに身を包んでいた。
 白い手袋に包まれた手が、迅の手を握り締めている。
 彼女はサラ・戒奈。迅の仲間の一人だ。
「はんっ。よく来たねー。誰だか知らないけどさ」
 巫女装束をまとう咲楽と対峙した男が言う。
 品のない金色に染めた髪をした男だった。
 ワイシャツの胸をはだけ、金のアクセサリーを大量につけた姿と、離れていても届くキツい香水の匂いは、まるで質の悪いホストのようだと、迅は思う。
「お前で最後だ。この施設を襲撃したオリジンズは。お前たちがツイナの刺客だってことはもうわかっている」
 迅は言い放つ。
「オレで最後? なるほど。なるほどねー。まあ、ツイナってのは当たってるわけだけどさ」
 男は軽薄を形にしたような笑みを浮かべる。
「だっけどさー。オレ、もう目的は果たしてるんだよね」
 男が肩をすくめる。
 迅は眉根に皺を寄せ、いぶかしむ表情を見せた。
「目的を果たした? なんだかわからないけど、無事に帰れると思っているのか? お前の前にいる武速咲楽は《鬼神》だぞ」
「知ってるよ。だけど、もう勝負はついているってわけよ」
 そう言うと、男は咲楽に歩み寄る。
 彼女は敵である男に対して、構えない。何もせずに佇んでいる。
「……咲楽?」
 迅が異変に気づく。
 男は動かない咲楽のあごに指をかけると、その顔を近づけていく。
 男の手が咲楽の顔を、迅の方へと向ける。
「……迅さん、私……」
 眼鏡の奥、咲楽の瞳が濡れていた。
 白い頬は上気し、その吐息はかすかに荒い。
 いつもの咲楽が見せる表情ではない。ましてや、目の前の相手は敵だ。
 ありえなかった。
「……オリジンを使ったな。お前は何のオリジンズだ?」
 迅は男を睨み、言った。
 オリジン。
 それは全ての事象の根源たる力だと言われている。
 物理法則すら無視し、超常の力を発揮するその力を宿した者たちを、オリジンズと呼ぶ。
 男はオリジンズの組織のひとつ、ツイナの刺客だ。
「言う必要とかないよねー」
 息がかかるほどの距離まで、咲楽に顔を近づけて、男はニタリと唇の端を上げる。
「でもま、勝負ついちゃってるし、教えてやろうかなー」
 咲楽の腰に手を回しながら、男は続ける。
「オレは【恋】のオリジンズ。その力は目を合わせた瞬間、相手の恋心を操る。つまりはさー」
「……あっ」
 迅の横でサラが小さく声を上げた。
 彼の手を握っていたサラの力が緩み、二人の手が離れる。
「サラ!?」
「……あぁ、ダメです。迅様、わたしも……」
 サラの青い瞳が【恋】のオリジンズに惹きつけられるように揺れる。
「目と目が合えば、恋の奴隷。それがオレの力ってわけよ。わかるか、見たところ童貞くん」
「うるさいな! それは関係ないだろ!」
 男はポケットからガムを取り出すと、口に放り込んだ。
「つまりはさー。オレの目的ってのは、こういうことね。強い恋心を抱いた奴が、オレの言うことを聞かないわけがないってこと」
 クチャクチャとガムを噛みながら、男は言う。
「君ら、ヤシマとの抗争でさ。うちの組織って、優秀なオリジンズ、たくさん失ってるわけな? いや、正確には【星】のオリジンズ相手の戦いか」
 ヤシマもまた、オリジンズの組織だ。今、迅が身を寄せているのは、ヤシマだった。
「だから、ツイナって、弱体化してるんだよ。で、そんな中で、オレは考えるわけよ。この【恋】のオリジンを使って、オレだけの部下を増やしたら……オレの地位急上昇ってさ」
【恋】のオリジンズの手が咲楽の腰をいやらしく撫でるが、彼女は抵抗を見せない。
 唇を噛み締めて、うつむいているだけだ。
「オレだけの奴隷を調達しにきたわけさ! つまりは恋の奴隷をな! ヒューッ!」
「お前……」
 迅は後ずさる。
「まさか、俺にも使ったのか?」
「え? 何を?」
「【恋】のオリジンを俺にも使ったのかって聞いたんだ! 俺も恋の奴隷なのか!?」
「は? え?」
 一瞬、男は呆気に取られた。
 そして、腹を抱えて笑い出す。
「ねえよ! ないだろ!? なんで、オレが男、奴隷にするんよ! お前、もしかしてそういう趣味あんの!?」
 男はゲラゲラと笑う。
「ないから! お前が何のオリジンズかとか、知らないけど、ないから! ありえないから、安心しろよ! でも、まあ、オレの邪魔すんなら、恋の奴隷たちが黙っちゃいないけどな! 《鬼神》と、そこの男装のお姉ちゃんがさ。むしろ、邪魔しなくても、ボコボコにされるわけだけどな! お前は、元仲間にさ!」
「……なんだ。それなら、安心だ」
 笑い転げる男の前に対して、迅は唇の端を上げ、ニヤリと、不敵に笑った。
 その姿に、男は笑うのをやめた。今度は男の方が、迅に対して、疑わしげな目を向ける。
「いや、お前。聞いてた? だから、オレの恋の奴隷がさ……。しかも、《鬼神》でな」
「咲楽。サラ。ひとつ訊きたいんだが。お前たち、こんなチャラい男が好きなのか?」
「ありえません。従者は主を選ぶものです」
 サラが言った。
 その声は冷たく、表情は固い。
 青い瞳はさっきとはうって変わって、汚いものを見るように、男を見ている。
「吐き気がしますね」
 咲楽は自分の腰に回されていた手をひねり上げて外し、男を突き飛ばした。
「えっ? え? なんで」
 呆気なく尻餅を突き、男は目を瞬かせる。
「なんでだよ。え? 好きだろ? オレのこと、好きなんだろ? 恋してるんだろ?」
「は?」
 心底、軽蔑しきった目で咲楽は男を見下ろす。
「嘘だろ!? なんでだ!? 【恋】のオリジン。こいつを手に入れてから、オレはナンパに失敗したことなんてないのに!? 女を捨てることはあっても、女に捨てられることなんてなかったのに! 何、これ、そういうプレイなの!?」
「違う」
 迅はきっぱりと言った。
「なあ、チャラ夫。お前にできることを、どうして、俺ができないと思った? この伊原迅に」
「迅……。伊原迅……っ!?」
 男の顔が驚愕に染まった。
「伊原迅! お前……お前が【星】のオリジンズ、伊原迅か!?」
「ああ。そのとおりだ」
 迅が頷き、男がうめく。
【星】のオリジン。それは地球上、全てのオリジンを内包した最強にして万能のオリジンだ。
 地球に存在する概念で、扱えないものは、迅にはない。
「お前と同じ【恋】のオリジンを、咲楽とサラに使った」
「な……! い、いや! だけど、なんでだ!? なんで、オレのオリジンが……。同じオリジンなのに、オレが一方的に負けてんだよ!」
 男は口の端に泡を吹きながら叫ぶ。
「オレの方がイケメンだろうが! オレの方が大人だろうが! オレの方が金持ってるだろうがよ! 憧れるだろう、普通!? なんで、同じ力で、オレが負ける!? こんな童貞みたいな、子供相手に、オレが!」
「絆だ」
 迅は言った。
「絆……だと!?」
「俺と咲楽、サラは、この【星】のオリジンを巡る戦いで、これまで一緒にいくつもの死線を潜り抜けてきた」
 胸を張り、迅は言う。
 咲楽とサラが深く頷いた。
「友として、仲間としての強い絆。それが、ただ、心を踏み躙ることしかできないお前のオリジンに勝った。呪縛から、二人を解き放った。きっと、それだけのことなんだ」
「き、絆……。嘘だ! 嘘だーっ! お前ら、オレの方が好きだろー!? 金ならある! 時計はロレックス! 車はベンツだ!」
「趣味ではありません」
「わたしの主は迅様のみです」
「そ、そんなぁ……。オレが、振られ……」
 ショックのあまりか、【恋】のオリジンズはそのまま仰向けに倒れて気絶した。
「いや、気絶しなくても……」
 それを見届けると、迅は頬を掻く。
 彼のもとに咲楽とサラが歩み寄る。
「迅さん……。すいません。私としたことが」
「わたしもでございます。迅様という主がいながら……」
 二人は申し訳なさそうに頭を垂れる。
「いや、オリジンのせいだから、しかたないよ」
「でも……!」
 咲楽が迅に歩み寄る。
 眼鏡の奥、涙を滲ませた瞳が迅を見上げていた。
 その形よい唇が震える。
 隣に戻ったサラは、迅の手をギュッと痛いほどに握り締めていた。
 二人の頬がやけに赤い。
「迅様……これが、恋なのですね」
 サラが呟く。
「恋……。まるで、レモンのような心地です」
 咲楽が呟く。
「レモンのようなって、何だ。いや、なんだ、この状況……あっ!?」
 迅は気づいた。
【恋】のオリジンを【恋】のオリジンで破ったはいいが、その力はまだ解いていない。
 咲楽が身を寄せる。
 巫女装束に包まれたその身体が迅に触れる。
 サラもまた手を繋いだまま、身体を寄せてくる。
 スーツの下、確かな膨らみが迅の二の腕に触れた。
 二人の身体の柔らかな心地に、迅は声を上げそうになる。
「ま、待て。咲楽、サラ……」
「迅さん。好き、なんです」
 咲楽の頬を涙が伝う。
 彼女の吐息が迅の首筋を撫でた。
「好きなんです! この気持ち、抑えられません!」
「迅様。わたしも迅様を愛しています!」
 左右から挟み込むように、二人の少女がその身を押しつけてくる。
 身体と身体が触れ合うたびに、「ん……」と、切なげな吐息が二人の唇から漏れる。
「迅さんという方がいるのに、オリジンのせいとはいえ、あんな男に心を奪われそうになった……そんな自分が許せません!」
 咲楽が上目遣いのまま言う。
「迅さん……。私を罰してください!」
「罰するって、何をしろと!?」
「迅様。わたしは従者です。だから、迅様が真に愛する者がいるならば、身を引きます。しかし……少しでも、慈悲の心があるなら、わたしにも、その愛を……ほんの少しだけでいいから、愛を分けてください。迅様を慰めるための道具だとしても、わたしは構いません」
「慰めるって、何!? いや、サラは自分を大事に!」
 逃れようとするが、二人は迅を離さない。
「落ち着け。落ち着くんだ。だから、それは【恋】のオリジンが、だな!」
「迅さん。私は……迅さんが望むなら、何でもします。どんな恥ずかしいことでも」
「わたしもでございます!」
「何言ってるのか、わかってるか!? それは、俺が『おっぱい見せてくれ』って、言ったら、即座におっぱい見せるって、言ってるに等しいんだぞ!?」
「……見たい、のですか?」
 咲楽がポツリと言った。
「え?」
「……わかりました」
 消え入るような声で言った咲楽は耳までを真っ赤にしていた。
 しかし、その手は迷いなく、巫女装束の前をはだける。そのまま、白衣の下に着込んだ肌襦袢にも手をかけた。
「咲楽ーっ!?」
「咲楽様がそうなさるなら……。いえ、望まれなくとも、わたしは主のため、愛する迅様のために……」
 サラはサラで上着を脱ぐと、ブラウスのボタンを外し始める。その隙間から下着らしき青い色がチラリと見えた。
「サラまで!?」
 咲楽もサラも手は止めない。
 迅に身体を擦り付けるようにしながら、二人の少女は徐々に服をはだけさせていく。
 甘い汗の香りが迅の鼻腔をくすぐり、その脳を侵していく。
「あ、あぁ……」
 何か言おうとしても言葉にならず、迅はじっと二人の姿を見つめてしまう。
 だが、次の瞬間、彼は唇を噛み締めた。
「……っ!!」
 痛みが走り、血の味が口の中に広がる。
 同時に麻痺しつつあった思考が、一瞬だけだが、戻ってくる。
「解除だ! よく考えたら、【恋】のオリジン解除したらいいんだ!」
 叫び、迅は間髪いれず、【恋】のオリジンを解除する。
 服に手をかけていた咲楽とサラが動きを止めた。
 恋の色で染め上げられていたその瞳に理性が戻ってくる。
「あ、あぁ……私」「じ、迅様……」
 二人の少女の顔がより赤くなり、身体がブルブルと震えた。
「い、いやぁぁ!」「きゃぁぁぁぁ!」
 悲鳴を上げると、はだけた胸を押さえて後ずさり、しゃがみこむ。
 迅が目を背けると、服を直しているのだろう、衣擦れの音だけが聞こえてくる。
「……あの。二人とも、怒ってる?」
 恐る恐る、迅は尋ねた。
 少しの間、返事はなかった。
 時々、鼻をすする音が聞こえる。
「……怒ってないです」
 消え入るような声で、咲楽が言った。
 サラもまた頷いているのがわかる。
「ただ……【恋】のオリジンに当てられていたとはいえ、自分のしたことが恥ずかしくて……」
 咲楽の声がかすれる。
「だけど、あの男よりも、迅さんへの恋の方が温かくて……」
 声が消える。最後まで言うことができず、咲楽は黙り込んでしまった。
「……ゴメン」
 迅もまた、謝ることしかできない。
 三人の間に重い沈黙が下りる。
 迅は何も言えず、何もできぬまま、衣擦れの音が消えるのを待っていた。
 やがて、服を整えたのか、音は消え、それからずいぶんと長い時間をかけて、咲楽とサラが立ち上がった。
 迅が目をやれば、二人はまだ恥ずかしげにうつむいている。
「えっと……」
 何か言おうとするが、言葉にならない。
「じ、迅さん!」
 咲楽が声を上ずらせた。
「だ、だけど、迅さんはしないのですね」
「な、何を?」
「その……。【星】のオリジンという万能の力を持ちながらも、あの男のように、人の心を操ろうとすることを。私はこれまで、迅さんが【星】のオリジンをそんな目的で使うところを見たことがありません」
「あぁ。言われてみたら、今回の恋心だけじゃなくて、人を服従させるようなオリジンも使えるんだな」
 初めて思いついたかのように、迅は口にした。
「でも」と、彼は続ける。
「……そういうの、嫌なのかもな」
「嫌?」
 迅は頷く。
「うん。心はその人自身のものだ。俺にどんな力があっても。何を変えることができても……。でも、それを踏みにじるようなことなんてしたくない」
 迅は夜空を見上げる。
 晴れ渡った夜空には丸い月が輝いていた。
「もし、心を変えたいと思うなら。俺は自分の言葉で、行動で、変えてもらうよ。オリジンなんかで無理やり変えてしまうんじゃなくて。そんな力に頼るなんて真似はせずに」
「迅さん……」
 咲楽とサラが顔を見合わせて微笑する。
「俺が咲楽やサラの心を操るなんて、そんなこと、ありえない」
「損な性分ですね。《鬼神》をその手に収めることができるというのに」
 咲楽は苦笑する。しかし、その表情はどこか晴れやかだった。
「わたしの認めた主。それでこそ、伊原迅様だと思います」
 サラは誇らしげに言った。
 迅は照れたように微笑む。 ◆ ◆ ◆ 「『そんなこと、ありえない』……じゃないだろ!? バカじゃね!?」
 迅は突然興奮して、テーブルを叩く。
「だって、【恋】のオリジン使っておいたら、あいつらを好きにできたんだぜ!? それこそ、見せてくれって言えば、おっぱいどころか、何だって……何だって見せてくれる勢いだったんだぜ!? それがわからないとか、三年前の俺、何やってんの!? アホなの!? それとも既に賢者(ワイズマン)の領域かよ!」
「後悔してるって、そこだったの!? 絆とか、イイ話だったから、どこで後悔するできごとがあるのかと思って、聞き入っていたよ」
 神那がしみじみ言う。
「そりゃ、後悔もするだろ。俺はこのあと、あの二人に……いや、あいつらを含めた五人の誰かだ。そいつらに裏切られて、【星】のオリジンを失ったんだ」
 迅は毒づく。
「くそっ! 何が絆だ! 何が恋だ! 絆や恋で世界が救えるかよ! 俺も救われない……」
「世界は奇麗事だけで動いているわけじゃないんだね」
「そうだよ。まさにそれだ。あの時、あんなカッコイイこと言って、それに浸ったりとかせずに、咲楽とサラに【恋】のオリジンとか、もっとひどいもの使って、心を奪っておくべきだった」
「嗚呼……」と、迅は吐息する。
「その心、踏み躙りたい……」
「世界を救った【星】のオリジンズとは思えないほど未練がましいけど、迅くんは、その人間味が魅力だよ」
「なんせ、元【星】のオリジンズだからな。魅力的な男さ。だが、そんな男も、力がなくなれば、ただの人間。そう……弱い人間だ……」
 迅はがっくりとうなだれる。
 神那はそれを見て、困った顔をしたあと、眉を下げて、口を開いた。
「じゃ、じゃあね。迅くん。いつも一緒にいてくれる迅くんと、わたしなら、絆あるよね。本物の絆」
「……絆か。まあ、確かに神那との絆ならあるな。あんな脆い奴じゃない。本物の絆が」
「だよね! それじゃ、そんな絆があるんだから、わたし……えっと、その……いいよ? 迅くんが見たいって言うなら」
 神那は頬を赤くして迅をじっと見つめる。
「……見たいって、俺が、何を?」
「え、えっと……その……」
 神那は少しだけ戸惑ったあと、その視線を自分のやや控えめな胸に落とした。
 少しの間を置き、迅はゴクリと息を呑む。
 そして、首を横に振った。
「い、いや! 待て、神那。お前は裏切ってないだろ。それじゃ、そういうわけにはいかないな」
 迅は慌てて咳払いする。
 神那は小さく吐息すると、また困ったような顔で微笑した。
「時に感情の赴くままに。時に臆病なまでに紳士……。さすがは迅くんだね」
「よせよ。というか、それは褒めてるのか?」」
「褒めてるよ?」
「褒められてるなら、しょうがないな」
 迅は吐息し、視線を上げる。
 その目はそこにはない何か、過去を見ているようだった。
「だけど……俺は忘れない。忘れられない。俺が力を取り戻した日には、あいつらは絶対に!!」
 迅は拳を握りしめ、立ち上がる。
「ところで迅くん。忘れないのはいいと思うけど、カレー、そろそろ冷めちゃうから、早く食べてほしいな」
「あ、そうだな。冷めたら、申し訳ないもんな」
 座り直すと、迅はカレーをパクつく。
「うまい……うま過ぎる!」
「えへへ。照れちゃうよ」
 タマネギの甘みと、よく効いたスパイスが入り混じり、えも言われぬ味わいをかもし出す。
「うまい……」
 だらしくなく頬を緩め、迅はカレーを食べ続ける。
「うまい。あぁ、もう何か色々どうでもいい。どうでもいいんだ……」
 さっきまで喋っていたことも、怒りも消えていく。
 そして、そのまま、三杯おかわりした。
 世界も裏切り者も呪わしいが、今日も、神那のカレーはうまかった。
「ごちそうさまでした」
 だから、満足な顔で、迅は手を合わせた。
 裏切りとか、復讐とかは、とりあえず、明日まで持ち越す。


 <了>