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紗月さんのファンレター(後編)

著: みかみてれん 挿絵: むっしゅ

 琴紗月は朝にまとめて家事を済ます。
 寝起きはダルくぼーっとしていて、どうせ頭が働かないので、その間に手を動かしさえすればいいことを片付けよう、という効率的な考えだった。
 洗濯物を洗濯機に押し込んで、洗剤を入れて標準コースでスイッチを回す。その間に、朝ごはんの用意だ。
「紗月ちゃんただいま~♪」
「おかえりなさい」
 だいたいこのぐらいの時間帯に、べろんべろんの母親が帰ってくる。
 酒臭い母親をシャワーに押し込んで、引き続き朝ごはんの準備。母親の夜ご飯も兼ねているので、あっさりめのものを。
 二日酔いにはしじみが効くという話を聞いてから、しじみの味噌汁はすっかり定番メニューになってしまったため、琴家では年がら年中、砂出しをしている。
 この日も、トーストした食パンに温野菜のサラダ、そしてしじみの味噌汁だ。見た目や食べ合わせなどは、紗月も母も気にしていない。
「紗月ちゃん頭乾かして~♪」
「はいはい」
 母親の世話をし、朝ごはんを食べさせたところで洗濯機が完了の音を鳴らすので、部屋干ししてゆく。畳むのは出勤前の母親の仕事だ。
 これが紗月の、おおよそのモーニングルーティン。
 ようやく頭が冴えてきたので、学校の予習やらを少ししてから、学校に出かける。
 ただ、この日は。
「あらあら、紗月ちゃんなにそれかわいい便箋買ってきたんだねえ。どしたのどしたの? え~、ラブレター書くの~? 好きな子ができちゃったの~?」
「違います。恋とか興味ありませんから」
 母に向かって、はぐらかすのは悪手だ。きっぱりと否定しておかないと、いつまでも付きまとわれる。
「今度、好きな作家さんが出るイベントがあるので、せっかくだからお手紙を書こうかな、と」
「え~? その作家さんって男の人!? 女の人~!?」
「知りませんし、興味もありませんね」
「そっかぁ~」
 パンツだけ履いた母親が、もきゅもきゅとパンを食べながら、にこぱっと笑う。
「でも、紗月ちゃんからお手紙もらう作家さんは、幸せだよね~」
「……そうですか?」
「だ~って、紗月ちゃんすっごく一生懸命本読んでるでしょ~。私だったら、嬉しくて泣いちゃうもん~」
 小さくため息をつく。母親は自分基準の物差しでばかり話をする人だ。
「こういう作家先生は、もっともっとたくさんの人からお手紙もらうんですよ。それなのにいちいち泣いてたら、お仕事にならないじゃないですか。母さんだってそうでしょう」
「え~~? 私は紗月ちゃんからお手紙もらったら泣いちゃうけど! くれるの!?」
「あげません。お客さんからもらってください」
 ぶーぶーと頬を膨らませる母を横目に、紗月は便箋を机の引き出しにしまう。
(ファンレター、か)
 実は、便箋を用意してから、もう一週間が経っていた。
 文面はまったく思い浮かんでいない。 *** *** 「……書けない? ファンレターが、ですか?」
「……」
 わたしの言葉に、紗月さんは無言でそっぽを向いた。
 紗月さんがあんまりこの話をクラスでしたくなさそうなので、学校の踊り場でのトークだ。なんかこういうところでお喋りしてると、学校を支配している陽キャって感じする。陽キャぞ? 我、陽キャぞ?
 にしても。
「紗月さんって、国語の授業でも成績いいですよね」
「そうね。現国は真唯にもコンスタントに勝てる教科のひとつだわ」
「なのに、なんで」
「別に、関係ないと思うけれど。作者の気持ちを答えなさいだって、あれはむしろこのシーンを配置した意図とその効果を読み取るための問題だもの」
「はあ」
 紗月さんのことだから、嘘をついているってわけじゃないと思うんだけど……。なんか、ファンレターが書けないって、あんまり想像ができないな。
 ちなみに『ファンレター書きましょう!』と言ったその日にファンレターを書き終わっていた。読み返すと恥ずかしいので、しっかりシールを張って封印してある。
 そんなわたしに比べて、語彙だってあるし、難しい言葉もたくさん知っているはずなのに、なんでだろう。
「メチャクチャ面白かったです! マジ最高ー! 尊みにあふれてヤバい死ぬかも……。とか書けばよくないですか?」
「あなた……」
 紗月さんが軽蔑するような目でわたしを見てきた。なぜ!?
「例を言っただけなのに!」
「内容が面白いのは当たり前でしょう……相手はプロなんだから」
「えっ!? そこ!?」
「しかも、尊みにあふれてヤバい死ぬ? 人間は物語に感動しても別に死にはしないわ。低俗な言葉は相手の作品の品位まで下げてしまうわよ」
 ものすごくダメ出しを食らっている……。いや、でも……。
「じゃ、じゃあ、登場人物の勇気に感動しました! とか」
「それは勇気に感動するように物語を作っているからであって、作者が意図した通りの効果が意図通りに出ていますね、というだけの意味になってしまうわ。失礼じゃないかしら」
「えええっ……?」
 そんな考え方、ある……? 深読みしすぎでは……?
「紗月さんって、読書感想文ってどうやってるんですか……?」
「読書感想文なんて、適当に耳心地の良い言葉を並べるだけよ。だいたいあれは作者が読むんじゃなくて、学校の教師が読むものなんだから、点数が取れるように書けばいいだけ」
「は、はあ……」
 なんというか、ええと……。
 わたしは喉から出てきた台詞の、その角をぜんぶ念入りにやすりで削って丸くしてから、紗月さんにお渡しする。
「紗月さんらしい悩みって気がしてきました」
「どういう意味よ」
 紗月さんに睨まれる。しまった。オブラートに包んだのも、あんまり意味がなかった……?
 しかし、どうやらほんとにファンレターが書けないみたいだ。どうしよう。
 このままだと拗ねた紗月さんが『私はいいから甘織だけ行ってきて。でも、一言でも行ったことに関して言及したその瞬間、あなたは私の敵になるから』とか言ってくる可能性ある。よく口の滑るわたしが、そんな爆弾を抱えたままで学生生活を送りたくない。
 しかも、かなり本末転倒だ。もともと、喜久水先生の作品にハマったのだって、紗月さんのおかげだし。
 なにより、紗月さんだってきっと、できることならファンレターを渡したいはずだから……!
「わかりました、紗月さん。わたしが全力でプロファイリングをします。むむ、むむむ!」
「プロファイリングってそういうものじゃないと思うけれど」
 こめかみに指を当てて、全力で目を閉じる。
 考えろ、考えるんだ甘織れな子。
 きっと、紗月さんのファンレター書けない問題は、わたしの感想をただ聞くだけだったことにも関係してる。
 つまり、その根幹は……!
「はー! 出ました!」
「なにが」
「紗月さんの抱えている問題の、そのすべての答えが!」
「なに、電波?」
 冷たい目にくじけてしまいそうな気持ちを奮い立たせて。
「つまり、紗月さんに足りないものは──」
 わたしは勇気を出して、紗月さんに言い放つ。

「『ホメ』です!」

 紗月さんの反応はわかっていたことだけど、冷ややかだった。
「…………褒め?」
「はい」
 でも一応聞いてくれるみたいなので、わたしは厳かにうなずく。
「ようするにファンレターって『ホメ』の結集だと思うんですよね。それならわたしができるのも、まあまあうなずけるという話です」
 こないだだって、美術部の咏先輩相手に死闘を繰り広げたことは、記憶に新しい。あれは本当に大変だった……。紗月さんだったらぜったいにうまくいかなかっただろう。(でも紗月さんが一言『いい絵ね』と言ったら、わたしのホメの2年分ぐらいの力が出る気がする……)
 紗月さんは憮然とした顔で、腕組みをする。
「……つまり、私が作者宛ての手紙を書けないのは、私が人を褒めることができない致命的な欠陥人間だから、って。あなたはそう言いたいのかしら」
「そういうことで──いや、まあ、その、人それぞれいろいろありますよね!」
 危ない。今の罠でしょ。イエスを押したら紗月さんに文庫本で横っ面ブン殴られるやつじゃん。会話ってこんなに命がけのやつだったかな?
「というわけで、とりあえず褒めてみましょう!」
 わたしは抱擁を受け止めるように、両手を広げた。
 わずかな間。
「……ひょっとして、あなたのことを?」
「ええ、練習だと思って。ほら、どーんと。どーんと」
 詐欺師を見るような目を向けられた。
「あなた……ただ自分が褒められたくて、私を誘導しているんじゃないの」
「ち、違いますよ! そんな手間のかかることをしてまで褒められても、嬉しくないですよ!? わたしはすべて紗月さんのためにやっているんです! わたしは紗月さんの唯一無二の大親友なんですからね!? トラストミー!」
「…………」
 紗月さんは押し黙った後に、腕組みをしたまま頬杖をつく。
「実際どうかはともかくとして、あなたがこの効果を信じていることだけは、本当らしいわね。いいわ」
「!」
 あの紗月さんが、わたしを信じてくれた……! トモダチ……!
 静かな感動を覚えつつ、わたしは何度もこくこくとうなずく。
「ただ、言っておくけれど……。私はできないからやらないわけじゃなくて、必要がないから人を褒めていないだけよ。別に、褒めろと言われて困ることはないわ」
「まあまあ。ほらほら、咏先輩すらも褒め殺すレベルで、お願いします!」
「誰のことか知らないけれど……」
 紗月さんの視線が、ひたとわたしに見据えられる。
 うっ、緊張感……。そして、わずかな期待感……!
 果たして紗月さんは、わたしをどんな風に褒めてくれるのか。
「あなたは……」
「は、はい」
 まるで告白を待つような気持ちで、ドキドキと紗月さんを見返す。紗月さんの真剣な瞳は、わたしを映し出して……。
「…………すごいわね、なんというか、いろいろと」
「えっ!?」
「どうして生きていられるの?」
「待って待って待って!」
 全力で両手を前に突き出す。
「ホメ! 褒めるって言葉の意味、わかってます!?」
「ちゃんと褒めているでしょう」
「ドストレートに罵倒なんですけど!?」
「堂々と二股をかけて生き恥を晒しているのに、恥ずかしげもなく毎日を過ごしているだなんて、すごい面の皮の厚さだわ。私にはとても真似できないわね。本当に学校教育を受けたのかどうか不安になるおこがましさよ」
「罵倒ぅ!」
 地団駄を踏む。
 紗月さんは眉根を寄せる。
「なによ。ほら、お望み通り褒めてあげたじゃない。不服?」
「まじか……この人、まじか……」
 わたしはちょっと待っててくださいね! と紗月さんを踊り場に残して、教室に戻った。
 目当ての人物を捕まえて、連れてくる。
「え、なになにチャン?」
 その美少女の両肩を掴んで、紗月さんの前に突き出す。
「わかりましたよ、紗月さん! わたしのことを素直に褒めるのが難しいのは、確かにそうかもしれませんね!」
 わたしもさすがに自覚がある。紗月さんの大切な幼馴染と、芦ケ谷の天使を同時にもにょもにょ……してしまっているわたしは、紗月さんにとってのホメの対象には当たらないのかもしれない、と。確かに面の皮が厚かったですよ!
「だったら、香穂ちゃんならどうですか!」
「なに? これどーゆー催し?」
 いまだ事情を呑み込めていない香穂ちゃん──わたしたちの共通の友人であり、クインテットのひとりであり、そしてメチャカワな女の子を見て、紗月さんが微笑んだ。
「香穂は、そうね」
 どう誉めてやろうかと顎に指を添える紗月さんは、いったいコイツをどう調理してやろうかと思案する魔女に見えた。
「自分の好きなものに貪欲で手段を選ばないところは、共感するわ」
「え!? ありがと!」
「本当に。人としてさすがにそれをしたらおしまいでしょうというレベルでプライドを投げ捨てることができる、稀有な人物ね。非常識な行動の数々を自分の目的のためにと正当化して、周りに迷惑をかけることもいとわない身勝手さも、大したものだわ」
「なんかいきなりメチャ罵倒されたんだけど!? れなちん!」
 すごい目で見てくる香穂ちゃん。わたしも思わず言葉を失ってしまう。
 芦ケ谷の妹として全校生徒にかわいがられている香穂ちゃん相手にすら、その調子……!?
「それ、褒めているんですよね……?」
「え、ええ、もちろん……」
 さすがの紗月さんも、わたしたちのリアクションを見て戸惑っているようだった。
 うーん……。どうしようか。ここまでとは思わなかった。
 真唯を連れてくるか? いや、ムリな気がする。紗月さんは練習のためだとしても、真唯を素直に褒めることはできないだろう。
 紗月さんが視線を左右に揺らす。
「……あなたに言われた通りに褒めて見たつもりなのだけれど、やっぱり、だめかしら」
「いや、あのですね、ええと……」
「ホメっていうか、ものすごく悪意のない悪口だったけどにゃあ~……」
 2対1の状況。
 紗月さんは、急速に自信を失ってゆく。
「……やっぱり、もっとありきたりで低俗で浅薄で無責任な誉め言葉のほうがいいのかしら。あなたが言うような」
 それもなかなかの罵倒ですね紗月さん! 罵倒の才能がありすぎる!
「つまり、サーちゃんが上手に人を褒められないって話なワケね。りょーかい。いいかい、サーちゃん」
 ぼんやり趣旨を把握してくれた香穂ちゃんが、人差し指を立てる。
「誉め言葉っていうのは、受け取る相手のことを考えなきゃダメなんだよ? プレゼントは送る方より、もらって喜ぶかどうかでしょ?」
「すごい、さすが香穂ちゃん! 例えが上手! 神がかってる! 香穂ちゃんしか勝たん!」
「ほら、こんな風に」
 香穂ちゃんに指差された。ふふん。
 紗月さんはなぜか顔を歪ませる。
「あなた、そんな褒められ方が嬉しいの?」
「いや、嬉しいかっちゅーと、そうでもないけど……」
「香穂ちゃん!?」
 そこで、階段からひょこっと顔を出した女の子がいた。
「あ、三人でなにしてるのー?」
 踊り場に、光が降り注いできたような気がする。
 紫陽花さんだ! かわいい!
「え、ええっと、今、紗月さんの特訓をしてて……」
「特訓?」
「あ、はい。人を上手に褒められるかどうか、という特訓を……」
「えー、なにそれおもしろーい。私もやってもらおっかな」
 目を輝かせた紫陽花さんが、楽しげに体を揺らしながら輪に混ざってくる。
 まずい! このままだと、紫陽花さんが紗月さんに罵倒される!
 紫陽花さんがそんなの言われたら、目を潤ませて『ひ、ひどいよ、紗月ちゃん……。私のこと、そんな風に思ってたの……? ぐすんぐすん』ってなっちゃう!
 わたしや香穂ちゃんならまだコミカルに流せるけど、紗月さんと紫陽花さんの間に亀裂が入ったら……クインテット、崩壊の危機だ!
 あ、でも! 紗月さんは今ちょっと日本語が喋れなくなって! と割って入ろうとするよりも早く。
「瀬名……あなたは」
 紗月さんは、どこか自信のなさそうな顔で、口を開く──。
「──とてもすばらしい人柄をしているわ」
『えっ!?』
 わたしと香穂ちゃんが同時に紗月さんを見た。
「どんなときでも裏表のない笑顔を分け隔てなく振りまくことのできるあなたは、本当に優しい人だわ。誰でもできるのに、でも誰にも真似できないことを、あなたは続けている。それって、なによりも価値のあることだと、私は思うの」
「えー、えー、えー」
 紫陽花さんがふわふわと自分の髪を持ちあげて、口元を隠す。
「紗月ちゃん、褒めるのすっごく上手だよ~。照れちゃうなあ。特訓する必要ないよ~」
『おかしいでしょ!』
 わたしと香穂ちゃんが同時に、紗月さんに食って掛かる。
「なにちゃんと褒めてるの!? やればできるじゃん! めちゃめちゃ上手じゃん!」
「ほんとだよ! いいこと言いすぎだよサーちゃん! まるで告白みたいだったジャン!」
 紗月さんは遠くを見つめながら、口元に手を当てた。
「つまり、褒められる側に問題があった、ということね。納得だわ」
「そりゃ世界中の人間が紫陽花さんになったら、さぞ褒めやすいでしょうね! 紫陽花さんには褒めるところしかないですもんね!」
 いまだに照れ照れと顔を赤らめてる紫陽花さん(かわいい!)を見て、微笑む紗月さん。納得がいかない……。
 ぐぬぬぬ……。さっきまでの茶番はいったいなんだったんだ……! *** ***  お風呂上がり。髪を乾かしたわたしは、自室のベッドに寝そべりながら、スマホを操作する。
 いよいよ明日は文フリ当日。
 というのに結局、紗月さんのファンレターは完成しなかった。

 れな子:つまり、作家先生のことを紫陽花さんだと思って褒めればいいんですよ!
 紗月:喜久水先生は、瀬名ではないわ。
 れな子:そんなことわかってますけど! でもこのままファンレター完成しませんよね!?
 紗月:そうね。
 紗月:人の心に言葉を届けるのが、こんなにも難しいとは思わなかったわ。
 紗月:あなたも、あなたなりによくやっていたのね。

 紗月さん……。
 その文面を眺めながら、わたしは真唯と紗月さんのFPS勝負のことを思い出してしまう。
 紗月さんは確かに、鋼鉄の心臓をもっているけれど、だからといってそれは無敵のハートというわけじゃなくて。
 紗月さんだって、いろんなことに悩んだり、壁にぶち当たったりする高校一年生の女の子なんだよな……。
 わたしは今回たまたまファンレターが書けたというだけで、いつもは紗月さんと立場が逆だから、なんだか妙にむずむずしてしまう。
 それに、ファンレター出しましょう! なんて余計なことを言って紗月さんを困らせてしまったのは、わたしだ。どうしたって、責任を感じてしまう……。
 できること……他に、わたしのできること……。
「……よし」
 わたしは体を起こした。

 れな子:紗月さん、今からちょっといろいろ質問します!
 紗月:質問?
 れな子:紗月さんは答えてくれるだけでいいですよ。まず、今回の新刊でいちばん心に残ったところはどこですか?
 紗月:それは、187ページの──。

 次々と、紗月さんに質問をぶつける。思っていることを、引き出してゆく。
 悩みながらも辛抱強く付き合ってくれた紗月さんの感想が、ログに蓄積していった。
 それをまとめて組み合わせて、文面を整えれば、きっとできあがるはずだ。
 紗月さんだけの『言葉』が。
*** ***  文フリ当日、青空の下。
 朝早くから、わたしと紗月さんは駅で待ち合わせていた。
「お待たせ」
「いえいえ、今来たところです!」
 わたしもお出かけには失礼のない格好をしてきたつもりだけど、でも、何気ない私服姿の紗月さんを見ると『すみません、ただの布です……』みたいな気分になってしまう。いっそ、ジャージとかで来たほうがよかったかもしれん。
「それじゃ、いきましょう!」
「ええ」
 空いてる電車で隣同士に座って、わたしは紗月さんの顔を窺う。
 一見は、いつもと変わらない。でも、どこか緊張しているようにも見える。
 拳をぎゅっと握ってから、切り出す。
「あの……紗月さん」
「なに?」
「お手紙、どうなりました?」
「……。便箋は、持ってきたわ」
 それはつまり、最後まで書けなかったということだ。
 やっぱり、という気持ちが胸に落ちる。ここから先を話すのは、もう一段階の勇気が必要だった。
 余計なお世話かもしれない。怒られるかもしれない。
 でも……。
「あの、今ちょっと、テキストを送りますね」
「え?」
 いつか助けてもらったときと同じように、わたしは紗月さんのメッセージにテキストを送る。
 そこには、わたしが昨夜編集した感想があった。
 テキストを開いた紗月さんが、しばらく文面に目を通してから、尋ねてくる。
「これは?」
「昨日、紗月さんにいろいろ聞いたじゃないですか。その、余計なことかとは思ったんですが、わたしがまとめて、それっぽく整えてみました。こ、これだったら紗月さんの感想ってことになりますよね!? あとはテキストを、そのまま写してもらえたら……」
「甘織」
 ひっ。
「ご、ごめんなさい! 出過ぎた真似だとは思ったんですけど! でも、紗月さんが苦しんでいるのに見てるだけっていうのも、なんか嫌で! なにか行動したかったんです! わたしが!」
「なにをびくびくしているの」
「だ、だって……。わたし程度が紗月さんに施しをしたと思われたら、それってものすごく分不相応な行いですし……。『今の私の感想を教えてあげましょうか? 憤怒よ──』とか言われそうで!」
「人をなんだと思っているの……」
 呆れたようにため息をつく紗月さんは、それから膝に乗せた鞄を開く。
 ペンと便箋を取り出して、鞄を机に紙を広げた。
「……ありがとうね、甘織」
「さ、紗月さん」
 お礼を言われて感動しそうなわたしに。
 紗月さんがテキストを書き写しながら、微笑んだ。
「あなたのその、心の弱さから来る偽善的なところ、悪くないと思っているわ」
「それで褒めているつもりなら、やっぱり紗月さんはド下手ですよ!」

 会場近くの駅で降りると、同じように会場に向かう参加者(っていうのかな?)の波ができていて、こないだ香穂ちゃんと出たコスプレサミットみたいだった。
 ともあれだ。紗月さんが緊張してるっぽいので、むしろわたしは平気かなって思ったんだけど……。
「や、やばい……ヤバいですよ、紗月さん……。もうすぐ、本物の喜久水先生が……!」
 ぜんぜんだめだった!
 だって、本を書いた偉い人なんだよ! その本物がいるんだよ! 平気なわけないじゃん!(※平気じゃなかった!)
「あなた、顔色がまずいことになっているわよ」
「神様が!」
「神様ではないと思うけれど……」
 会場に近づくにつれて、アラームの音が大きくなるように、どんどん心臓が存在感を主張してゆく。がんばってるのはわかったから! 少し黙れ!
「紗月さんが、わたしの代わりにファンレターを届けてくれるというのは、どうでしょう……」
「別にいいけど。あなたがそれでいいのなら」
「うっ…………」
 わたしは固く目をつむって、道端の端っこにしゃがみ込んだ。ほんとは今すぐ横になりたかった。お布団、お布団はどこ……。
「ちょ、ちょっと待っててください……。少しだけ、30秒だけでいいので……!」
 すーはー、すーはー……。深呼吸を繰り返す。
 作者を見るということは、わたしも作者に見られるということ……。そして、ファンレターを届けるということは、ファンレターを読まれるということ……!
 ファンレターは持ってきたけど、わたしはその『覚悟』を用意して来なかった! 心に鎧も身にまとわずに戦場に出てきてしまった! 愚か!
 ちらと、そばに揺れるスカートをたどって視線を上に向ける。紗月さんが困ったような顔で、わたしを見下ろしていた。
 うう……。紗月さん……。
 そう、紗月さんを誘った手前、わたしが先に潰れるわけにはいかない……。
 よろめきながら、立ち上がる。
「もういいの?」
 わたしは死にそうな笑みを浮かべて、親指を立てた。
「ええ……。心に鎧を着込んだので……」
「あなたのメンタルって、キャベツみたいね」
「どういうことですか!?」
「表面が虫に食べられても、剥けばなんでもなさそうなところ」
「ちゃんと体積は減ってってるんですよ!」
 我ながらよくわからないツッコミを返す。すると、紗月さんが手を差し伸べてくれた。
「ほら」
「紗月さん……」
 なんだかんだ優しい……。
 そしてこういうとき、手を引いてくれた紗月さんの手も、実は震えていたりして……。
 別に震えていなかった。サラサラのお肌だった。
「逆になんで平気なんですか!?」
「ちゃんと緊張しているわ」
「ちゃんと緊張してたらこのざまになるんですよ!」
 紗月さんを困らせながらも手を引っ張ってもらって、ようやく会場の入り口にまでやってこれた。
「いよいよ会場ですね……! 負けないように、がんばりましょう……!」
「なにと戦っているの」
 会場は広く、盛況だった。
 たくさんの人が机を並べていて、思い思いの本を販売(頒布?)している。
 行き交う人たちの目は机の上に向けられていて、にぎやかな様子だ。フリーマーケットの名前の通り、小学校でやっているようなバザーを彷彿とさせた。
 おお……!
「これみんな、自分で本を作った人たちなんですね! すごい!」
「そうね」
 自分の手で本を作るって、どんな気分なんだろうか。ファンレターを書いて封筒に入れただけで、なにかを作り上げたような満足感を覚えてしまうのだ。本を作ったときの気分は、すごく達成感があるんだろうな。
 わたしも紗月さんもお目当ては喜久水先生だけだけど、他のスペースも見回ってみたくなってきた。
 でも、とりあえずは。
「よし! 会場を目視できたので、第一関門突破ですね! さ、いったんトイレに避難しましょう!」
「なんでよ」
 紗月さんが掴んだ手を強く引いてくる。あっ、ちょっと!
「早くいかないと、売り切れになるかもしれないでしょう」
「くぅぅ……あんなに興味ありませんって顔してたくせにぃ……」
「過去は過去よ。私は今を生きているの」
 なんて強い理屈なんだ。そのスタンスだったら、無敵じゃん……。
 いよいよ、わたしたちは喜久水先生のスペースの前にやってきた。
 どうやら、ちょうど列が途切れたようで、空いているテーブル席にはひとりの女性が座っていた。
 年齢は、二十代にも三十代にも四十代にも見える。人当たりの良さそうな女性だ。
 あ、あれが……神様……?
 いや、遠目から窺っているのはあんまりマナーがよくない。わたしは意を決してテーブル前に歩み出た。
「あ、あの!」
「はーい」
 ひい、喋った! 生きている! 人間だぁ!
 わたしがなにも言えなくなっていると、紗月さんが隣に来た。
「新刊を二部ください」
「はいはい、1000円ですよー」
 わたしは握りしめていた500円玉を喜久水先生ではなく、紗月さんに震えながら渡す。紗月さんは受け取って、それから500円玉を二枚、トレイの上に乗せた。
「ありがとうございまーす、ではどうぞー」
 はわわわわ……。喜久水先生の新刊だ……。本物だ……。
 胸がいっぱいなので、わたしはロボットのように回れ右する。
 はぁ…………目的をこれで達成した…………。
 いや、まだだった!
「あ、あの! これ、あの、これ! ファンレターです!」
 鞄から取り出した便箋を、ずずずいっと差し出す。相手の顔は、とうに見えなかった。
「おお、差し入れだ。ありがとうね!」
 どうやら受け取ってもらったらしい。今度こそ、ミッション終了! さあ風よりも早く帰りましょう!
 じゃない! まだ紗月さんの番が残ってる! さあ、紗月さん、ファンレターを!
 先に重荷を下ろしたわたしが、応援する気持ちで紗月さんに視線を向ける。ほら、勇気を出して! わたしのように! わたしのようにね!
 紗月さんもまた、鞄から手紙を取り出そうとして。
 出そうとして……。
 紗月さん?
「あの」
 真剣な目をした紗月さんの横顔。その耳が赤かった。
「喜久水先生ですか?」
「え? いや、えーと。ごめん、私はただの売り子で」
 あ、そうだったんだ!?
 別人に緊張し倒していたのが恥ずかしい! わたしは死にたくなった!
 でも、紗月さんの表情はさっきとまったく変わらず。
「では、もし先生にお会いする機会があったらお伝えください」
 紗月さんはそこまでを一息で言い切ってから、胸に手を当てて息を吸い込んで、そして。
 告げた。
「新刊、とても面白かったです」
 大きく頭を下げてから、紗月さんは止める暇もなくさっさと立ち去っていく。
 あっ、ちょっと! 先に逃げるのズルい!
 喜久水先生のスペースにいた売り子さんが、にっこりと笑っていた。
「ふふふ。必ず、伝えとくね」
 わたしもまた頭を下げてから、紗月さんを追いかけた。

 会場の外で、紗月さんは風に当たっていた。
「紗月さん」
「甘織」
 そこで紗月さんは初めて気づいたように、二冊持っていた本の一冊を手渡してくる。
「ああ、ごめんなさい。持ってきてしまったわね」
「それは別に、いいですけど……」
 紗月さんは髪を撫でる。
 ためらいがちに、口を開いた。
「ごめんなさいね。本当は、あなたに作ってもらった上手な手紙を渡した方が、相手も喜んでくれたのでしょうけれど……」
 言葉を切った紗月さんは、笑みを浮かべる。
「でも、やっぱり……私の言葉も、私の気持ちも、私だけのものだから。拙くて、たった一言でも……こうすることしか、できなかったんだわ」
 それはどこか、スッキリした笑みに見えた。
「ん……そっか!」
 わたしは紗月さんに笑いかける。
「いいよぜんぜん、気にしないで。わたしは、紗月さんがしたいようにしてくれるのが、いちばんだから」
 わたしの本心だった。紗月さんが落ち込んだり、後悔していないことが、わたしは嬉しかった。
 それに、本人が心から伝えようと思った言葉ならきっと、たった一言でも気持ちは伝わるはずだから。わたしはちゃんとそれを、実体験で知っていますからね!
「ていうか、むしろほっとしたというか……。わたしごときの作った文章が、紗月さん名義で喜久水先生のもとに届かなくて……」
「なかなかうまく書けてたと思うけれど」
「ははは……。その言葉、今まで紗月さんに褒められた中で、いちばん嬉しいです……」
 乾いた笑みを浮かべていると、紗月さんが目を逸らした。
「でも、ありがとう。あなたって、たまにはいい人ね」
「えっ!? 『たまには』はいらなくないですか!? わたしは大親友の紗月さんの前だと、常にいい人ぶろうとがんばってますけど!」
「私は二股する人をいい人の枠には入れないわ」
「確かに!!」
 破れかぶれみたいに叫ぶわたしに、紗月さんもまた笑っていたのだった。 *** ***  ここからは、余談なんですけれども。
『儚からずとも』の短編は最高の出来栄えだった。わたしが同好の士の感想を漁るためにスマホを眺めていると、喜久水先生のツイートが目に入った。
 それは──。

『こないだの文フリで、力いっぱい面白かったですって言ってくれた読者さんが来てくれたんだよね。たった一言だったけど、嬉しかったなあ』

 目が飛び出るかと思った。速攻で紗月さんにメッセージを送る。紗月さんの想いはちゃんと届いていた。嬉しい……だけど!
 やっぱりあの人、売り子さんじゃなくて先生本人だったじゃん! 嘘つき!

 そしてもうひとつ。
「え? 紗月さん、改めてファンレター送るんですか?」
「ええ。結局、新刊についてはまだまだ言い足りないことばかりだったから。整理して、自分で文面に直してみたわ。少し、読んでくれない?」
「それは、いいですけど」
 学校で紗月さんが書いてきたファンレターを開いてみると、それは──。
 わたしは震えた。
「な、なんて完璧なファンレター……」
 読み進めることがやめられない。
 手紙にしたためられたその文章は、まるで読む人の心を打つ作品のようだった。
 心が込められているのは。もはや当たり前。その心を、変幻自在の言葉で雄弁に語り尽くされている。こんなファンレターをもらったらぜったいに嬉しいだろう。
 このファンレターに比べたら、わたしの書いた文章なんてまさしく、テンションが高いだけの落書きだ……。
「そう? ありがと」
 くうううう。
 わたしは地団駄を踏む。
「ずるい!」
「なにが」
「なんで、なんでそんなに──なんでもすぐうまくなるんですか! わたしの唯一の取り柄を、そんなに簡単に上回らないでくださいよぉ!」
 今ならきっと、咏先輩ですら紗月さんの言葉でメロメロになるだろう。ずるい!!
 この世の理不尽を叫ぶわたしに、紗月さんは軽く首を傾げて。
 そして、微笑みながら告げてきた。
「悪いわね。諦めが悪いのが、私の取り柄だから」

ダッシュエックス文庫