『囚われのカンピオーネ』
草薙護堂。
国籍は日本人、年齢一六歳、性別は男性。
私立城楠学院の高等部に通う彼は、自分が特に目立つタイプだとは思っていない。
性格はまあまあ温厚な方だ。
クラスの中心で騒ぎ回るような、良くも悪くも声の大きな生徒ではない。かといって、人づきあいが苦手だったり偏屈だったりするわけでもない。
容姿も平凡な方だろう。
口うるさい妹などに言わせれば「ちゃんと努力して磨けばもっとマシになるはずなのに、怠けてるせいで全然イケてない」らしい。もはや腐れ縁とも言える“相棒”エリカ・ブランデッリに言わせれば「造りは悪くないけど、カリスマ性と威厳に欠けているわね」らしい。
成績も中の上。文系は得意だが理系はいまいちだ。
体力には割と自信がある。だが、天才と持てはやされるようなアスリートでもない。
実を言えば天地がひっくり返っても常人とは自己紹介できないプロフィールも所有しているのだが、この学校のなかでは完璧に凡庸な一生徒だと断言できる。
だから『中庸』『平凡』……そんな表現が適当なのではないだろうか。
――なあ草薙。自分のこと、どんな人間だと思ってるよ?
ある日の休み時間、一年五組の教室。
同級生に質問されて、護堂が口にした返答がこれであった。
そのとき居合わせたのは高木と名波、そして反町。
三人とも同じ一年五組に在籍する男子である。そして彼らは皆、妙にギラつく目で護堂の顔を眺めていた。……何だろう、この異様な目つきは。
重税と圧政に苦しむ領民が、気ままな暴君へ向ける憤怒の目。敵意を心底に秘めた、怒りと忍耐の眼光。切れ味の鈍そうな刃物にも似た、剣呑なまなざし――。
そんな表現が似つかわしく思えた。
「……なあ、聞いたか?」
「……ああ、聞いた。こいつ、自分の立場を全然理解してねえ。この王様野郎が!」
「……例の計画、やっぱり実行に移す必要がありそうだな」
そして、何事かひそひそとささやき合っている。
「なあ、隠れて何話してるんだ? あと今の質問、何か意味があるのか?」
「そんなつまらんことを気にするなよ、草薙。この恨み晴らさでおくべきか!」
「ははは、何言ってやがる。今のは忘れろ、草薙。月のある晩だけだと思うなよ!」
「おいおい、本音を口走っているぞ。もうちょっとだけ我慢だ。因果応報、外道死すべし!」
「……大丈夫か、みんな? おまえら様子がすごく変だぞ」
心配して護堂は訊ねた。
だが彼らはその質問には答えず、暗い面持ちでおのおのの席へと帰っていったのだ。
――そんな一幕があった日の放課後。
草薙護堂は、唐突に拉致監禁されてしまった。
■ ■ ■
「――というわけで第一回、草薙護堂は学園の二大美少女を独占するクズ野郎だ審議会をはじめたいと思う。皆の衆、準備はいいか?」
「問題ない! 非モテの敵・草薙護堂に正義の裁きを下してやろうぞ!」
「有無! 我々は恋愛共産主義の平等思想に基づいて、不当に富を独占するブルジョワジーを糾弾してくれるわ!」
この日、護堂は日直の当番だった。
今日提出のプリントを集めて職員室の担任の机に提出しておく仕事があったため、それを済ませた帰途。職員室から一年五組教室への移動途中に。
その拉致劇は敢行された。
人のいない辺りを通りがかった護堂に、大きな麻袋が頭からかぶせられる。
手足をばたつかせて抵抗するも、通用せず。数人がかりで持ち上げられて、そのままどこかへ連れて行かれた。おまけにガムテープで手足を縛られ、拘束までされた。
そして今、麻袋をはぎ取られた護堂の眼前にあるものは――。
黒いカーテンで窓を隠して陽光を遮断した、どこかの教室だった。明かりもつけていないので、かなり暗い。
唯一の照明は、誰かが手に持っているらしい懐中電灯だけであった。
これだけでは周囲の状況も把握しづらいところである。
だが護堂は、フクロウ並みに夜目が利く体質だったので、じっくりとまわりを見回すことができた。おそらく、普段は使われていない空き教室のひとつだろう。
机が置かれていないことから、それは推察できた。
そして、眼前に立つ三つの人影――。
頭に紙袋をかぶり、顔を隠している。目のところにだけ穴を開けていた。
これでは顔も正体もわからない。一体、誰だ? 自分を捕らえ、監禁したがる者たち。心当たりはないが、身に覚えがありすぎる。ついに学校にまで、どこぞの魔術結社とやらが乗り込んできたのか。
だが、一応とはいえ草薙護堂は『王』なのだ。
そんな相手にここまで大胆な真似をするとは、余程の実力者たちなのか?
用意周到なことに彼らは、高等部の制服である学ランまで着込んでいる。その上に紙袋をかぶっているのだ。ふたつの目と口元の部分にだけ穴を開けている。これでは彼らの正体もわから――な……。
護堂はさっきの声を思い出し、彼らの背格好を眺めながら醒めた声で言った。
「何してんだよ、高木。そっちにいるのは名波と反町か?」
「バ、バカ者! 我々はそんな名前ではない!」
「う、うむ。貴様の同級生などでは断じてないのだ!」
「そう、我らは国を憂え、民を慈しむ正義の徒! 変な誤解はしないでもらおうか!」
あからさまにあわてた声で三人が口々に言う。
「何て言うか……おまえらがこんなにバカだったとは思わなかったよ。今ならまだ罪は軽い。おとなしく俺を解放しろ」
呆れと同情を込めて、護堂は勧告した。
それにしても、自分がなぜこんな目に遭うのか見当も付かない。
「ケッ! こいつ、まるで自分は無実の罪で囚われの身になっているとでも言いたげな目つきをしてやがる!」
三バカのひとりが護堂の顔を懐中電灯で照らしながら、口汚く言った。
この声はやはり、高木のものだ。
「まあ落ち着け。時間はたっぷりとある。じっくりと、この不埒な野郎にてめえの罪深さを教えてやるとしようぜ!」
せいぜい時代劇に登場する悪役の三下Aという風情の声。これは名波か。
「ああ、目にもの見せてくれるぜ。神に代わって、オレたちがこいつを裁く!」
今度はえせヒーローっぽい決めぜりふ。反町の声だろう。
「……よくわからんが、おまえたちの決意は何となくわかったよ。まずはこのテープをほどけ。落ち着いて話し合おうぜ、な?」
「ククク。貴様、自分の立場がまだわかってないようだなァ」
おそらく反町らしき三バカのひとりが宣告する。
「オレたちが求めているのは、貴様との話し合いではない! これは断罪なのだ!」
「……だ、断罪?」
「草薙護堂! 貴様はこの学院の二大美少女の心と体を欲しいままにし、ハーレムを運営する暴君! その罪、万死に値する!」
「…………何だって?」
反町の弾劾に、護堂はめまいを感じた。
二大美少女。ハーレム。一体こいつらは何を言わんとしているのだ?
「同志T! 草薙護堂の罪その一を読み上げろ!」
「おう! ……一、被告は金髪で超絶ナイスバディなツンが抜けてデレまで達した美少女エリカ様と所かまわず――き、教室で、校庭で、道端で、公衆の面前で! べたべたとイチャつき、愛を確かめ合い、あげくに自分とエリカ様は恋人でも何でもないなどと主張している!」
「ぬう! その罪、許し難いにも程がある!」
「異議なし! 草薙護堂は万死に値する!」
……護堂は呆れた。
今までも十分に呆れていたのだが、このやりとりでそれが決定的になった。何と言おうか、アホすぎる。こいつらは真性のアホだと痛感したのだ。
こんなバカげた寸劇につきあう必要はない。
胸を張って、毅然として聞き流せばいいだけの話だ。
草薙護堂はこの件に関して、何らうしろめたい記憶など持っていな……くもないので、実は単なる強がりなのだが、ウソも方便である。
■ ■ ■
「ねえ、護堂……」
窓から差し込む夕暮れの陽光で、橙色に染められた放課後の教室。
この時間まで残っている生徒はふたりしかいない。すなわち、草薙護堂とエリカ・ブランデッリのふたりだけである。
「今、この場所にはわたしたちしかいないわ。……ふふっ、何だか素敵じゃない? いつもはたくさんの人でにぎわう場所が、わたしたちふたりだけの物なのよ? これってとても贅沢なことだと思うの」
赤みがかった金髪の美少女が、濡れたようなまなざしで護堂の顔を見上げながら言う。
そう、美少女。
エリカ・ブランデッリは一〇〇人中一〇〇人が認める、すばらしい美貌の乙女だ。
だが、彼女は単に顔立ちが整っているだけではない。
賢く、強く、自信家で、しかも策士。美貌に加えて、己の能力への絶対的な自信を所有している彼女は、護堂の知るどんな美少女よりも存在感に満ちあふれていた。
「じゃあ、ここで質問。こんな素敵な時間と場所を共有するわたしたちは、これからどうするべきだと思う?」
「お、おとなしく家に帰るってのはどうだろう」
「もちろん却下。……もう、こんなに心躍る場面なのに、そんなバカげたこと言って。護堂でなかったら、その口を引き裂いて二度とおしゃべりできなくしてあげるところなのに」
護堂の膝の上で、エリカが声をひそめてささやく。
言葉自体は極めて凶悪なのに、その声色はとてつもなく甘い。
しかも、彼女が今すわっているのは、椅子ではなかった。
草薙護堂の膝の上に、やわらかで瑞々しいおしりとふとももを乗せているのだ。しかも、華奢な両腕を護堂の首に回し、しなだれかかっている。
……断っておくと、この体勢は護堂にとって極めて不本意なものだった。
だが、これに耐えなくてはいけない事情があった。
まず足。エリカのしなやかな足が護堂の膝にからみついている。この締め付けの厳しさときたら、まるでかんぬきのようだ。
そして首。白い蛇にも似た彼女の繊手は、その気になれば一瞬にして護堂の首の骨をへし折れる。そこまではせずとも、確実に頸動脈を締め上げ、落とし――意識不明に追い込むことができる。
攻撃態勢のエリカを前にして、意識不明。
それは、裸で冬山に登山を挑むような愚行だ。どうなっても文句は言えない。
エリカ・ブランデッリ、イタリア人、年齢一六歳。容姿端麗、頭脳明晰、スポーツ万能のまさに超人。ただし家事一切はできない&しない。そして『魔女』にして『騎士』という冗談のような肩書きまで所有している。
……そんな彼女の濡れた唇が、護堂の唇に近づいてくる。
どうする? どうしたい? どうしよう? 護堂の心は千々に乱れた。避けられぬ脅威を前にして、現実逃避をしたくなった。
昔読んだホラー小説では、こういう極限状態では妙なモノローグになるのだ。いきなり窓の外へ視線を向けて白い影を目撃したり、窓の外に黒い化け物を見たり。そしてバッドエンドを連想させる曖昧な結末につづくのだ。
迫り来るプレッシャーに勝てず、護堂は窓の外を見やった。
ああ。窓の外に、窓の外に――!
……何かあるわけもなく、護堂はそのままエリカにいいように弄ばれた。舌と舌を存分に絡ませ合い、彼女の使っていたミント系グロスの味をたっぷり味わう羽目になってしまった。
たった二日前の出来事であった。
■ ■ ■
「報告する! オレは見た。一昨日の放課後、こいつは人気のない教室でエリカ様にき、ききききききキッスをされていた! 思いっ切りぶちゅっと、ちち超ディープなやつを!」
「な、何だとォォォォ!?」
思い当たる節がありすぎる護堂は、かなり焦った。
あの一幕を見ていた目撃者が、しっかり存在したとは。……だが、押し倒されはしなかった。唇へのキスまでで凌ぎ通して、それ以上の一線は死守したのだ。
だから、やましいところは……もちろんあるのだが、どうにか平静は取りつくろえた。
しかし護堂がひそかに安堵した瞬間、こんなことを訊かれてしまった。。
「草薙。おまえ、まさかとは思うが、エリカ様とそこから先に進んじゃいないよな?」
そこから先。
曖昧な表現だ。果たして、これはどこまで――否、どこからの行為を指すのだろう?
護堂は悩んでしまった。
この三月からエリカとくぐり抜けてきた数々の激闘、そして合間合間に繰り広げてきたエリカのアプローチに対する必死の抵抗。それらが走馬燈のように(べつに瀕死の重傷でもないのだが)思い出されてくる。
あんなことも、こんなことも、そんなこともあったりしたが。
……うん、まあ、どうにかギリギリの一線を踏み越えてはいないと強弁できそうな気がする。無理矢理に自分を納得させた護堂は、ようやく返答を口にした。
「……あのな、変な勘ぐりをするなよ。エリカはたしかにいろいろ大胆すぎるところはあるけど、俺たちは本当に変な関係じゃないんだ。信じろよ」
「同志N、この回答までに要した時間は?」
「ストップウォッチによる計測では八・三秒。それだけの沈黙が『あのな、変な勘ぐりを』と発言するまでの間に確認されている」
「統計に従えば十分に疑わしい時間だな。……怪しい」
「いや、統計って何の統計だよ!? そもそも、そんな時間わざわざ測るなよ!」
護堂の叫びを無視して、三バカは蔑みと妬みの視線を向けてくる。
もうつきあいきれない。何としてでも脱出しよう。決意する護堂だったが、手足を拘束されたままでは、それもかなわない。
相手はごく普通の一般人。これでは超人的な怪力も、瞬間移動もできない。
数々の特殊能力を持つ草薙護堂だが、常軌を逸する強敵やシチュエーションがあって初めて発揮できるものばかりなのだ。
「……この案件は極めて由々しき問題なので、あとでじっくり審議しよう。ではつづいて、草薙護堂の罪その二についてだ!」
「おう! それはオレが読み上げよう!」
すかさず応じたのは、反町の声だった。
「草薙よ、二大美少女独占の罪を背負う貴様だが、もうひとつ許し難い大罪がある。それは『妹』に対する冷たさだ! オレは、妹に萌えない貴様の愚かさを糾弾する!」
「…………妹?」
護堂は目を白黒させた。反町(推定)のヤツは、なぜここで妹などと言い出すのだ。
「ぬう、そう来たか……」
「さすがは同志S、二次元に一〇八人の妹を持つ漢……。いかなるときでも『妹』のことを忘れぬ執念、見上げた心がけよ……」
端では三バカの残り二名がうめき、感じ入っている。こいつらも訳がわからない。
「なあ草薙。貴様はいつも教室に来る静花ちゃんに対して、あれだけ邪険な態度を取る自分が恥ずかしくはならないのか? 罪深いと思ったりはしないのか!?」
「……俺、べつに邪険になんかしてないだろ。普通じゃないか」
■ ■ ■
護堂の妹・草薙静花は城楠学院中等部の三年生だ。
この頃なぜか、護堂のいる高等部の教室や屋上にまでやってきて、つきまとっていく。
「……お兄ちゃんさ、最近すっごく不真面目だよね」
そしていきなり、こんな文句を機嫌悪そうに言ったりするのだ。
ちなみに言うと、静花は勝ち気そうなところが印象的な、そこそこ可愛らしい女の子だ。
もしかすると将来は、草薙家の母親に似た派手目の美女になるのかもしれない。一四歳の現時点でも、かなり母親似だと評判なのだ。
「何でさ? 俺、べつにすごい真面目ってこともないけど、妹に不真面目とかなじられるほどじゃないぞ?」
「その戯言、まわりをもう一度よく見てから言ってよね!?」
そういえば、この前こんな会話をしたときは屋上での昼食中だった。
六月頃から、護堂は昼休みを屋上で過ごすようになっていた。
ひとりではない。クラスも同じ、席も隣のエリカが当然という顔つきでそばにいる。そしてもうひとり――やや栗色がかった黒髪の女生徒、万里谷祐理もいっしょだ。
ふたりの少女たちと共に、屋上で昼食を摂る。
最近の護堂の日課だった。ここに妹の静花が加わることも多い。……このシチュエーションのどこが不真面目だというのだろう?
「どうしたのですか、静花さん? たしかに護堂さんはまあ……完璧に品行方正とは言えない方ですが、十分に真面目な方だとは思います。お兄さまのことをそんな風におっしゃってはいけませんよ」
微笑みながら、祐理がやんわりとたしなめる。
時に凛々しく、時に夜叉女のような迫力すら発揮する彼女だが、普段はとても清楚で奥ゆかしい雰囲気のお嬢さまなのだ。そして何より、美しい。
万里谷祐理は、エリカと並び称されるほどの美少女だった。
だが、見る人によっては驕慢と感じるかもしれないエリカのあでやかさは祐理にはない。代わりに、じっくりと見れば見るほど取り込まれそうになる深みが彼女にはあった。
たとえて言えば、人知れず可憐に咲き乱れる山桜。
それが万里谷祐理という少女なのだ。
「でも、そうですね。静花さんのおっしゃる通り、護堂さんはもうすこし真面目になっていただく方がいいかもしれませんね。……今のままでは私、いろいろなことが心配でたまりません。交友関係、女性関係、普段の行い、護堂さんはその辺りを一度見直すべきですね」
「あいかわらず手厳しいな、万里谷は……」
ちょっと澄まして祐理が言うと、護堂はぼやいた。
彼女はただのお嬢さまではない。関東一円を霊的に守護するという武蔵野の媛巫女。エリカですら一目置く、千里眼じみた力の持ち主なのだ。
そして、護堂の厄介な事情を全て知った上でいろいろとサポートしてくれる友人だった。
六月の一件以来、祐理との関係はかなり順調だ。出会った当初はひたすら手厳しいだけだった彼女も、こんな風に冗談を言ってくれるようになった。そして、視線が合えばたがいに微笑みかけ、心を通じ合わせるようにもなっていた。
多くを語らずとも通じ合える――そういう居心地のいい関係が築かれつつあったのだ。
「お、お兄ちゃん! それに万里谷さんも、見つめ合ってふたりだけの世界を造るのやめてよ! そ、そういうところが不真面目なの、不謹慎なの! 万里谷さん、お兄ちゃんみたいな男子に引っかかったらダメです! もっと警戒心を持ってください!」
「あら? 静花さん、何がダメで、何を警戒すべきなのでしょう?」
「そうだぞ静花、おまえの言う意味が俺たちには全然わからない。はっきり言えよ」
静花の訴えに、祐理と護堂はいっしょになって抗弁した。
特に示し合わせたわけではなく、ただの偶然である。だが、こういうタイミングや行動が彼女とは不思議なほどしっくりと合う。
「……ま、静花さんとしてはこういうのを不真面目と言いたいわけよね。わたしや祐理といつもいっしょで、両手に花の現状が」
くすくす笑いながら口をはさんだのは、エリカだ。
彼女は静花が苦情を言い出したときから、ちょっと離れて傍観者を決め込んでいたのだ。
「高校に上がるまではずっと独り占めしていた朴念仁なお兄さまが、今じゃこんな風に女の子を何人も侍らせるご身分なんだから、文句のひとつも言いたくなるわよね。……まあ、気持ちはわからなくもないわ」
「エ、エエエエエリカさん、変な勘ぐりはしないでください!」
訳知り顔で言われて、妙に焦っていた静花が印象的ではあったのだが――。
■ ■ ■
「ふ、普通だと? 貴様、あんな妹相手に普通に接するだけだと言うのか!?」
「だって、そうだろ。まあ仲はいい方だと思うけど、高校生や中学生にもなってベッタリしてるわけにもいかないって、おたがいに」
両親の不在が多かった幼い頃は、それこそどこへ行くときも妹連れだったものだが。
護堂は昔を思い出して、なつかしさを感じた。
思春期になった兄妹がそこまでやるのは、ひどく気恥ずかしいものだ。……もしかしたら静花が最近やたらとつきまとうのは、あいつも昔をなつかしんでいるのだろうか。
「くはあッ!?」
見えない鈍器で頭を打たれかのように反町がのけぞり、悲鳴をあげる。
護堂の返答がよほどショックだったと見える。
「しっかりしろ、同志S!」
「オ、オレなら大丈夫だ。それよりも草薙の罪を明らかにしなくては。いいか草薙、貴様は普通と言うがな、リアル妹は『普通』、あそこまで可愛くない! それもわからんのか!」
「…………は?」
この世の真理を告げるかのような反町の叫びに、護堂はたじろいだ。
「うむ、同志Sの言う通り! 口の悪いところが逆にたまらん!」
「そうだ! 静花ちゃんこそ、ツンデレ妹の鑑。お兄ちゃんのバカ、すこしはあたしのこと気にしてくれたっていいじゃないっ。……でも大好き……」
「同志たちよ、ありがとうありがとう! そう、これこそ萌え。妹萌え!」
こいつらまさか、酒でも飲んでたりするのだろうか。
三バカのひどい盛り上がりようを前にして、護堂はアルコールか薬物の摂取を疑ってしまった。あとどうでもいいことだが、わざわざ女の子っぽく妄言を口走っていた高木がおそろしく気色悪い。これを指摘したら、あいつはやはり傷つくのだろうか……。
「ではそろそろ、第三の罪を申し渡そう。万里谷さんの件だ」
いきなり言い出したのは名波だった。
「中等部時代は長らく学園ナンバーワン美少女として名声を欲しいままにし、高等部に上がってからはエリカ様の登場によって二大美少女のひとりにはなったが、その輝きは少しも色あせていない万里谷祐理さんのことだが――」
護堂はいぶかしんだ。彼女らを独占云々とは、何の言いがかりだ?
「貴様、最近はあの娘ともよろしくやっているよな? 目が合うたびにすぐ目を逸らし合ったり、ときどき頬を赤らめながら見つめ合っちゃったりして、ふたりだけの世界を作って!」
「オ、オレも見たぞ! 草薙と万里谷さんが並んで歩いているときに偶然手と手がぶつかって、ふたりして恥ずかしそうにうつむいて、立ち止まったりしていた!」
「くせえ! こいつは甘酸っぱいラブとコメの匂いがプンプンするぜーッ!」
護堂は狼狽した。
自分と祐理はそんな風に妙な雰囲気になっていたり――したかもしれない。
記憶にないこともない。考えてみれば、この頃はずっとそんな調子だった気もする。もしかして、そういうところを結構な人々に見られていたのか!?
「ふん、心当たりはあるようだな。エリカ様と公然といちゃつきながら、万里谷さんルートも攻略中の外道め。フラグを立てるにも程があるぜ!」
「二股ハーレムルートを驀進中か、んんー?」
「貴様にだけはそんないい目を見させねえ。オレたちの手でバッドエンドにしてやる!」
ここぞとばかりに三バカが吠え立てる。参った。
この連中をどう丸め込もう。八方ふさがりの状況に、護堂が絶望しかけたとき――。
ガチャリと教室の扉が開いた。外の明かりが暗い室内に差し込んでくる。そして、そこから入ってきたのは色白の女生徒――万里谷祐理だった。
「護堂さん、こんなところにいらしたのですか? 探していたんですよ」
おっとりとやさしげに微笑しながら、祐理が語りかけてくる。だが、拘束された護堂の姿を見るなり不審そうに眉をひそめた。
「……一体、どうされました? なぜ縛られていたりするのですか?」
「……話せば長くなるんだけど、ここにいる高木と名波と反町がアホなことをしてるんだ」
護堂は簡潔に答えた。それにしてもタイミングがいい。
さっき探していると言っていたので、ここに現れたのは偶然ではないのだろう。
万里谷祐理は『霊視』の呪力を持つ媛巫女。『なんとなく』歩き回るだけで探し物のありかにたどり着いても、おかしくはなかった。
祐理は床に倒れ込んだ護堂のそばまで駆け寄ってきた。
無防備な護堂をかばうようにして立ち、三バカに向けて凛々しく言い放つ。
「あなたがたは顔を隠していらっしゃいますが、護堂さんの同級生の方々なのですね? このような狼藉、どういうおつもりなのですか? 三人がかりでひとりの男子生徒を襲うなど、言語道断な蛮行です。人として恥をお知りなさい!」
惚れ惚れするほどの一喝だった。
この凛然たる叱責に、さすがの三バカもたがいの顔を見合わせた。
「く、こんなところで万里谷さんの乱入があるとは!」
「落ち着け、まだ主導権はわれわれの手にあるはずだ! ……そうだ万里谷さん、草薙を解放して欲しければ、こちらの要求を呑んでもらう! まずは着替えだ。神社でバイトをしているという万里谷さんの巫女さん姿を拝ませてもらおうか!」
「うむ、あとはオムライスにケチャップで似顔絵を描いて欲しいっ。ハートマークも!」
「み、みみみみ、オレは敢えて耳かきを要求したい! できれば膝枕つきで!」
「ぬううっ。ならばオレはネコ耳ッ。ご、語尾には『ニャン』をつけて!」
と、口々に怪しいことを言い出す。
「……ご、護堂さん、あの方たちは私に何を要求しているのでしょう? ひどく道を踏み外した、人間としてまちがっているような気配を感じてしまいますっ」
三バカの狂態に、祐理が怯んでいた。
仕方のないことだと、護堂は納得した。あの只ならぬ迫力と妄執、ある意味では世界に数名しかいない魔王たちの猛威すら凌駕する恐ろしさだ。
「無理はしなくていい、万里谷。ここは危険(?)だから、エリカを探して呼んできてくれ。あいつならまあ……あんな連中でも余裕であしらえると思う。多分」
「そんな! 護堂さんを見捨てて、ひとりで逃げるなんてできません!」
「いいから行くんだ! オレのことは心配いらない。自分の安全を優先してくれ」
「いいえ。――あのとき、あの雨のなか申し上げたじゃないですか。どこまでもお供しますと。わたしの力で本当にどうにもならない状況ならともかく、ここはおそらくそうではありません。わたしでもがんばれば、必ず護堂さんのお力になれるはずです」
いつしか床に横たわる護堂と、それをかばう祐理は見つめ合っていた。
自分はバカだ。彼女の熱意にほだされて、護堂は思い直した。
諦めるのはまだ早い。この娘の勇気と力をもっと信じてみよう。ひとりでは難しくても、ふたりならきっと乗り越えられることは多いはずだ。
……などと思いを新たにして三バカに向き直ってみたら。
彼らは泣いていた。
膝を屈して、頭からかぶった紙袋を涙の雫で濡らしながら泣いていた。
「ぢぐじょう……いろいろふくめて畜生!」
「こんなときだってのに、ふたりだけの世界を唐突に作りやがって……」
「オレたちは無視して、自分たちだけラブコメかよ。悲しすぎるじゃねえか……」
かくして打ちひしがれた三バカは無力化し、草薙護堂はどうにか解放された。
おおむね平穏かつ平凡な学園生活(と本人は思っている)を送る男子学生である彼は、神を殺め、その権能を簒奪した者だけに贈られる称号の持ち主でもある。
――その名はカンピオーネ。
世界に七人しかいない神殺しの魔王にまつわる物語は、またべつの物語であった。