※本作は『ベン・トー11 サバの味噌煮弁当【極み】290円』及び『ベン・トー10 恋する乙女が作るバレンタインデースペシャル弁当350円』より以前の出来事です。
『THE WORLD OF THE DEAD』
 信じられぬものってのは、やっぱりどうしても早々お目にかかれるものじゃない。
 たとえば当たり前に街を歩いていると、肩から掛けていたバッグにスカートの裾が引っかかって、お尻丸出しのままで毅然とした態度で歩いている女子高生とか、まさに神が我らに与えたもうた奇跡に他ならないものの……これを可能であれば間近で、初孫を愛でるご老人のような穏やかな気持ちのままで延々と、いや、永遠と見つめ続けたいところだが、本人にバレなくても端から見られればなかなかに犯罪臭漂う状況なので、男としてそこで葛藤が生まれるところにまたある種のバトル&ロマンが……と、語り出したらキリがない上今回は特に関係がないので、一端脇に置いておこう。
 ともかく、いいこと、悪いこと、意味不明なこと……とかく不思議で、信じられぬものってのは目を凝らしていたとしても、なかなか見つけられるものじゃない。世界はいつだって退屈で、ありきたりで、変化が薄いものだ。
 けれど、丁度今し方僕の横を過ぎていった光景は……もしかしたら……。
 少なくとも僕にめくるめくファンタジーを予感させるには十分なものだった。
「あっ……お、お願いしま……あぁ……」
 チラシ配りの子をサラリとかわし、ズンズンと歩みを進める僕、佐藤洋。実にクール。まさか著莪のパシリで少々離れた駄菓子屋まで『ヨーグル』という駄菓子を買いに来たとは到底思えないだろう。
 ちなみに知らない人のために説明しておくと『ヨーグル』というのは、別にその名から連想するようなヨーグルトの類ではなく、砂糖と香料、そしてショートニングという油を合わせた、パッと見クリームみたいな駄菓子のことである。一個一〇円〜二〇円で販売されているそれ(最近は二〇〇円もする超大型のもある)は、昔ながらの駄菓子で、指でつまめる程度の小さな容器に入っており、それを付属の小さな木べらで食べるという風流を感じるものだ。もし食べたことがない若者がいたら、是非とも手にとってもらいたい。一度食べると、忘れた頃にまた異様に食べたくなるから。
 そんな昔懐かしいヨーグルがこの間売っていた、というのを昨夜著莪に電話で話したら、喰いたいから買っておいて、と言われ……。それが近所ならまぁ……という気はするのだけれど、たまたま神田君たちと遊びに行った先だったので、ちょっと面倒なことになっていた。
 二〇円のヨーグルを五つ、つまりは一〇〇円と消費税の商品を買うためにバスに乗るのもアレだったし、仕方なく徒歩で来たのだ。
 ……で、そこでようやく信じられぬもの≠フ話に戻るのだけれど、僕はズンズンと二月の街を歩いていたらチラシを差し出されたのをサラリとかわし……そして、過ぎ去ってから「あれ?」となった。
 僕は歩みを唐突に止め、黒いスカジャンのポケットに手を入れたまま固まる。
 思い出してみると、今チラシを差し出されたけど……えらく、位置が低かったような……?
 そして……何となく、その差し出された相手に見覚えがあるようなないような……。
 僕は二度見した。そして、首を捻った。
 僕の視線の先にいたのは、胸に大量のチラシを抱えた小さなメイドさん……けれど、そんな小さな女の子の知り合いとなると茉莉花か木之下桃先輩ぐらいしかいないのだけれど、その子は二人のどちらとも違う、黒髪のロングだった。
 その女の子をしばらく見つめていると、彼女は振り返り、おずおずとまたチラシを差し出してきたので、僕は受け取りつつも彼女の顔を見つめる。
「あ、ありがとうござ……あの、何か……」
「どこかで……会ったっけ?」
 声を掛けてみるものの、やっぱりわからない。知らない顔だ。声も初めて聞いた声という感じ。だけれど……その腰ぐらいまである長い黒髪に長い前髪の隙間から目を見せているような、どこか鬱々とした感じのその髪は僕の記憶に何やら引っかかる。
 待てよ……この街のこの場所でメイドさんといえば……。確か昨年末に……。チラシには本格メイドカフェ『THE WORLD OF THE DEAD』の文字。
 そこまでいって、僕はようやく思い至った。この小さなメイドさんを僕は何故二度見してしまったのか、その理由が!
 僕は思わずその場でしゃがみ、そのメイドの両肩をつかんだ。
「烏頭みこと! ど、どうしたんだ!? 不思議な飴食べたりとか未来兵器的なライト浴びたりとか、悪い魔女に魔法でも掛けられてロリになったのか!?」
 そう、その小さなメイドは、多分烏頭だ! 明らかに茉莉花の同年代か、その一つ二つ下ぐらいな感じになっているものの、その鬱蒼とした感じの長い前髪とか眼鏡とかがどう見ても烏頭っぽい。そしていつぞやのように、本格タイプのロングスカートのメイド服を着てチラシを配っている様など、ロリであることを除けばまさにそのままだ。
「いや、あの……飴とか食べて……ない……ですけど」
 うん、このやたらとか細くて、妙な間を取る喋り方……間違いないじゃないか!
「烏頭、わかってる。きっと何らかの力を持った相手にいつぞやのように嫌がらせしていたら、仕返しされてこうなったわけだな」
「あの……そういうんじゃない……んです……けど……」
 ロリ烏頭は明らかに怯えた目をして僕を見やる。そりゃそうだろう、昨年はいろいろと嫌がらせした相手の前に、幼女として現れたとなっては……その後はどうなるか火を見るより明らかだ。恐らく彼女は僕がロリコンでないことだけを必死に願っているに違いない。
 ……安心するといい。僕の好みはまだギリギリ茉莉花の年齢よりやや上……のちょっと下ぐらいだから!! 多分今の烏頭だと……そうだな、少なくともあと一年ぐらいは熟成させて……。
「えっと……一応、確認するけど……何歳?」
「……一〇歳……です……」
 うむ、やはり……な。
 いや、でも待てよ……烏頭が小さくなったんなら、ここで一九歳か、二〇歳と答えるべきじゃないのか? アレ? うん?
「……一応訊くけど……ひょっとして……本当に、烏頭じゃない……の?」
 コクン、とその子はサラリとした黒髪を揺らして頷いた。
 チッ! 何だよ、結局ファンタジーなんて、どこにもないのかよ!
 人生ってどうしてこうもつまらないんだろう。どうして、こうも、ありきたりで、平穏で、退屈で埋め尽くされているのだろう。世界は……いや、待てよ?
 さすがに僕の予想は荒唐無稽が過ぎたかもしれないけれど……それじゃ、今僕の目前にいる幼女は何なのだろう? 烏頭本人じゃないのはともかくとして……それにしちゃ、ちょっと似すぎている気がする。
「……その、似てます……か。わたし、その……」
「烏頭に? うん、一瞬本人が退行したのかと……」
 僕が言うなり、その子は烏頭ならへにゃぁ≠ニいう柔らかな感じに、嬉しそうに微笑んで見せた。烏頭なら絶対にしないであろうそんなかわいらしい笑顔に、僕は彼女が僕の知っている人物ではないことを確信すると共に、ある現実味を帯びた可能性を見出したのだった。
「ははーん、わかったぞ。さては烏頭の妹さんか、娘だな!? イテッ!!」
 スコーンっと、工具で殴られたような鋭いというか、強烈な痛みが僕の後頭部に炸裂した。
「前者はいいけど……後者、なに?」
 血が出そうな攻撃を喰らってその衝撃に振り返ってみると、そこにはやたらに長い黒髪を携え、正統派メイド服を纏った女性が一人。ハイヒールを手にして片足立ちの、烏頭みことだ。
 眼鏡の向こうの目が少しばかりお怒りになりつつ僕を見やっていた。
「あ、うじゅじゅ〜!」
 小さな烏頭は烏頭に走り寄るなり、その細い腰に抱きつき、背後に隠れてしまった。
「いやその……師匠の山乃守さんとの間に出来た子かな、と思ったわけで……」
「……なに? 私……小学生の時にでもこの子生んだって、言いたいの?」
 烏頭独特の耳にするりと滑り込む冷たい声からは、明らかに憤怒の気配がした。
「あぁ、いや……あ〜、こうして並んでるところを見ると、確かに似て……ない……か」
 衣装は二人ともメイドの格好だからともかくとして、似ているのは実際髪と眼鏡ぐらいで、目つきも烏頭は蔑むような感じなのに対して、女の子は僕に上目遣いにしつつももっと子供っぽいというか、ごく普通な感じ。それに烏頭は病的に青白いのだけれど、女の子は健康そうな肌艶である。
「あの、わたし……やっぱり……うじゅじゅに似て……ない……ですか?」
 女の子がそう言うのだけれど、うん、見れば見るほど似てないよな。
 喋り方も烏頭に似せようとしているのか知らないけれど、声質からして全然違っていた。
「……えっと、この子、誰?」
「私の仕事先の、メイドカフェの……店長の娘。今……家業のお手伝い中。別に小学生を雇って、働かせているわけ……じゃ、ないからね」
 その子の名は三島ひまわりちゃん。何でも烏頭……いや、うじゅじゅ曰く、髪型を似せるぐらい彼女にやたらと懐いているらしいのだけれど、感じからすると憧れのそれに近いようだ。
 またこれだけ小さい子だと不思議とチラシの捌け具合がいいらしく、烏頭が勤めているお店ではお手伝い≠ニ称して結構利用しているそうな。……いいのだろうか。
「洋、うちに来たことなかった……よね? 来てよ、友達とか、連れて……サービスしてあげなくもない……から」
「……でもアレでしょ? ホラーな感じなんでしょ?」
「冥土カフェだもん。……当然……でしょ。今、ちょっと面白い展示してる……し」
「一応訊くけど……何?」
「生きた日本人形。元の持ち主の女の子、一家心中で殺されちゃった女の子の……霊が乗り移って言われてて、夜に動いたり、髪が伸びたり、涙流したり、たまに悲鳴上げたりする……の」
「……楽しい、それ?」
「楽しいよ? 動かないかな動かないかなって眺めながら、ゆっくりとお茶……動物園の、寝てばかりいる……パンダと同じ。ワクワクできて……楽しいし、ゆっくり時間……進む……よ?」
 ……うん、絶対楽しくないな。
「そもそもそういうのって、結局雰囲気だけっていうかさ、ファッションのでしょ……?」
 今し方所詮世界はつまらない現実に支配されていて、摩訶不思議なものなんてものは皆無なのだと見せつけられたばかりだから……僕としては疑わざるを得なかった。
「うちのは本格だから。っていうか……本物しかないから」
「……っていうテイの、ファッションホラーでしょ?」
「いい、洋。……世の中には……信じられないような……モノや現象は……多いんだよ。……ウチに来たら……ゆっくり、教えてあげる……ね」
 ともかく、烏頭は遊びに来いの一点張りで、僕のポケットにチラシをねじ込んで来た。
 そしてひまわりちゃんに手を引かれてお店まで連れて行かれそうになったけれど、従姉が待っている、と言ったらその子も連れて遊びに来ればいい……と……まぁ、押し売りよろしくの状況になったのだった。

 今日は土曜ってこともあり、ヨーグル喰うぐらいしか予定がないとなれば著莪は何かをしようとしたがるわけで……そこに『THE WORLD OF THE DEAD』のチラシを見せようものなら飛びつくのは必然だったかもしれない。
 著莪のマンションに入って、二人掛けソファで僕らはヨーグルを喰らっているなり、著莪は何かを思いついたのか、二個目を食べる頃には悪い笑顔を浮かべていた。
「……なぁ、佐藤、あたしさぁ……ちょっとやってみたいことがあるんだけれど。とりあえずヨーグル喰ったら行ってみようぜ!」

「……ここかな?」
 チラシにあった簡易的な地図を頼りにやって来たのはいいんだけれど……いやぁ、ここまで本格的だとは……。
 街の隅にある雑居ビルの地下一階らしいのだけれど、四階建てのビルの上層階全てがボロってるっていう……ね。
 いや、古いっていうんじゃなくて、その各階がそれぞれ事件を起こしてるっていう……。著莪が「あ〜、ここ見たことあるわ〜。先週ぐらいにニュースで見たわ〜」とかボヤいたのでわかったのだけれど、一階にあったマッサージ店がボヤになり、個室ビデオ店の二階と三階は延焼で燃え尽き、四階は「龍が如く」に出てきそうな皆様の事務所があったそうなのだけれど、先週にカチコミがあって、北野武監督作品『アウトレイジ』もビックリなガンアクションの末に死人が出まくった結果今はもう誰もいないそうな。
 つまり、このビルで唯一営業しているのは地下のメイドカフェだけらしい。
「……この場所呪われているんじゃないのか……」
 四階の窓を突き破って十数メートル下のアスファルトにダイブした人の痕跡と思しき、人型を描く白線を見ながら僕はうんざりした気分で言った。
 ……何で、ちょっと頭の部分の枠線、普通のより広いんだよ……。くそ、嫌な想像しかできねぇぞ……!
「っていうか、下にそういうファッションホラーじゃない、ガチもんのお店があるせいでいろいろ引き寄せているんじゃないの?」
「……よせよ、これからそこに行くんだぞ。っていうか、さっきも言ったけど、ひまわりちゃんっていう、茉莉花よりも小さい子もいるんだし……大丈夫だろ」
「いくら店長の娘だからって、こんな場所で手伝わせるのは情操教育上良くなさそうだけれど……まぁいいや。とにかく、行ってみようぜ〜」
 僕ら三人は一階の壁に貼られた『冥土はこちら。地の底へ続く階段をお下りください』と、雰囲気を出そうとした結果逆にチープな印象になっている貼り紙の指示に従い、階段を降りていく。するとカフェにあるまじきBGM……きゃぴきゃぴしたかわいらしいロック調な般若心経の歌が聞こえ、さらには抹香の匂いが漂って来やがった……。
 階段を降りた先には、アンティーク調の高級感のある扉があり、それを開くと取り付けられていたカウベルが軽やかに鳴る。
「お還りなさいませ、ご主人さ……何だ、洋か。あ……本当に友達……連れてきたんだね」
 運良くというか、偶然にも僕らを出迎えてくれたのは烏頭だった。彼女は恭しく頭を下げたものの、僕だとわかった瞬間にメイド感はすぐに捨て、普段の彼女の姿を見せた。
 ……うーん、プロフェッショナルらしくないなぁ。たとえ知り合いであっても仕事場ではお客として接してもらいたいものだ。
 ちらり、と彼女の脇から店内を見やってみる。やや薄暗い店内に般若心経のBGM、壁には十字架はもちろん、仏像が並んでいたり、果てはどこの宗教のものかよくわからない神々しい牛の置物とか、経典とか、部屋の隅には悪払いセットと思しき聖水でも入っている小瓶や釘、蝋燭、木の杭、白いチョーク、さらにはドライフラワー状態のニンニクの花の輪とかがあり……さらには最後、いつぞやネットで話題になった対ゾンビ用セット(斧、ショットガンなど)が赤ランプで照らされて飾られていた。
 テーブル席が六組、カウンター席がいくつか、という感じでそこそこの広さがあるのだけれど……その中央に、例のものがあった。ライトアップされた台の上に、御札が貼られた透明なガラスの箱に収まる日本人形。髪の毛は本当に伸びているのか、すでにその人形の足下まで伸びきっていた。
 店内にいるゴスロリの格好をした客や、知的そうなお姉さんとかが凄く楽しそうにその人形を見ながらお茶をしている光景はなかなかに世紀末を感じさせるものがあった。……店内の席の半分以上が埋まっているものの、何気に男、僕だけだな。
 あ、という感じに中を覗っていると、僕とポッチャリした手首に包帯巻いているメイドさんの目が合う。
「裏店長のお知り合いですか?」
「ウラテンチョー……?」
 包帯メイドの視線からして、烏頭のことらしかった。
 アレだな、うじゅじゅといい、ウラテンチョーといい、あだ名多すぎるだろう。
「うん。知り合い……というか、後輩……かな」
「はっ! ということは、あの全国にも知られた伝説的な部の――!?」
 この包帯女、まさか、狼か!?
「あの、烏田高校心霊現象調査研究部の後輩さんですか!?」
 ……うん、違うな、まず間違いなく違う。
「……違う、から。いいから、席、案内しちゃって。ただの後輩。……高いの、いっぱい注文させて……ね」
「はい、裏店長のご命令とあらば!」
 何となく怖いことをサラッと言われ、僕らは包帯女に案内されかかるのだけれど……烏頭が、待ったをかけた。
「二人じゃ……三人? ……え? ちょっ……ちょっと待って……洋、こっちへ。アイリ、今休憩しているアンジュとユナ連れてきて。急ぎで、両方フル装備で」
「フ、フル装備……!? ど、どうして……!?」
「いいから、行く。……急いで。洋はこっち。お二人は……そのままでね」
 僕は烏頭に連れられて、店内の奥へ連れて行かれ、そこでいつぞやのように囁かれる。非常に小さな声なのに、不思議と耳にするりと入ってくるものだから、背筋がゾクリとする烏頭の声。
 ……だが、その当の烏頭の方が今は青い顔をしていた。
「うん、あの、ね? ……友達連れてこいとは言ったけど……誰が化け物連れてこいって言った? 言ってないよ……ね?」
「……化け物? あぁ、あせびちゃん?」
 僕はチラリと入り口の所で待ったをかけられているニヤニヤとした著莪と、その背後にいる猫耳帽子に縞々のマフラーを巻き、もこもこの白いポンチョを羽織った井ノ上あせびちゃんを見やる。先程、このカフェに来るのを決めたと同時に著莪が呼び寄せたのだ。
「あれ、なに? 見た瞬間に、私、命の危険を感じたん……だけど」
 当のあせびちゃんはいつも通りの平常運転でニコニコしながら店内を物珍しげに見やっていて、「ゾンビゲームとか、ここでやると盛り上がりそうだねぇ〜」と楽しそうだ。
 僕は烏頭にあせびちゃんの簡単な詳細を話す。触れるとヤバイ、年中微妙に風邪引いてる、触れなくてもたまにヤバイ、でも本人は基本軽傷で済む、さらに本人は自分の状況を理解していない……とりあえず概要をさらっと述べたのだけれど、その頃には烏頭はらしくもなく脂汗を浮かべていた。
「あのショットガンって、本物かなぁ〜」
「いやぁ、偽物でしょさすがに。ソードオフのショットガンなんて日本じゃ持てないんじゃないの?」
 へぇ〜、とあせびちゃんが烏頭の言いつけを破り、店内に足を踏み入れた……その瞬間だった。店内の至るとこから「キャー!」という悲鳴が上がった。
 何事かと思えば……おぉ、何と言うことだ……。
「烏頭……人形が、動いてないか……?」
「……動いてる……ね」
 そう、店内の中央にあった御札の貼られたガラスケースの中の人形がカタカタと動き出していた。
「……トリック?」
「そんなギミック……仕込む技術……ない。それにあれ、マジもんだし」
「……気のせいかさ、声、出してない……?」
 人形はカタカタと震えながら、著莪たちがいる店内の入り口に背を向け、明らかに歩いていた。まるで店の奥へ行こうとするかのように。そしてその人形が虫の鳴き声のような、か細く甲高い声で何かを叫んでいた。
「タァースーケーテ……バケ……モノ……クル……」
 ……気のせいだろうか、あの人形、あせびちゃんから逃げようとしているように見えるんだけど……僕だけかな?
――何て素敵な幸運なのかしら! ついに本物の心霊現象を目の当たりにしたわ! ――凄い、こんなにダイナミックに動くだなんて、ファンタスティック! ――メイドさん、これ、撮影してもいいんですか!? トリックじゃないですよね!? ――凄い、凄いよ! 自慢出来るよ! ――助けを求めているのは、アレね? お父さんが包丁持って迫ってきているのをフラッシュバックしているわけね!?
 店内の訓練され過ぎた客たちが一斉に色めき出し、次々にスマホのカメラで撮影を始めるのだけれど、それによってあせびちゃんも人形の存在に気が付いたようだ。
 あせびちゃんは「わぁ〜」と人形に近づいていく。
「……烏頭、止めなくていいの?」
「やだ。……こわいもん」
 ……烏頭がそう言うのかよ。あせびちゃん、やっぱスゲーんだな……。
「わぁ〜、動くお人形さんだぁ〜! ……電動かなぁ?」
「ヒギィ……! ラメェ! コナイデェ……!」
 ……お人形さんがエロ漫画みたいな声を出して、内側から透明なガラスケースを引っ掻きだしているんだけど……いいのか、アレ。あ、ケースに貼られてた御札が焦げ始めた。
「……高い御札なんだけど……なぁ。洋、とりあえず、あのバケモノ一番奥の席、座らせて」
 僕は言われるがままに著莪とあせびちゃんを呼び寄せ、店内最奥の角にあるテーブル席に着く。ついでに監視のためなのか、今し方の恐怖体験に震えているひまわりちゃんを腰に抱きつかせたままの烏頭が僕らのテーブルの前に立った。
「ご注文……は?」
「えっと、どうするかな。佐藤、お前、財布の中どんくらい?」
「……著莪、それ、アレか。僕が驕る前提なのか?」
「当然じゃん。じゃ、うじゅじゅ〜、オススメは?」
「うじゅじゅ言わないで。店内では、烏呪{うじゅ}だから。……オススメは……洋の財布も考えると……この、眼球シリーズ……かな」
「んじゃ、その眼球シリーズのジュース項目からブラッディ・アイと、手作り……ハンドハンバーグ? これも。え〜っと、メイドが選べるってのは……んじゃ、まぁ烏呪でいいや。佐藤とあせびは?」
「……僕もそのブラッディ・アイ。それ、のみで」
「あっちはねぇ〜、ベリーケーキセット、ダージリンで〜」
「承りました。……ひまわり、オーダー」
 うぅ……という感じに完全に人形にビビっているひまわりちゃんがカウンターの奥にある厨房に駆けて行った。
 ……本当にビビるべきは著莪の横に座る猫耳帽子の女の子だと誰か教えてあげるべきだろうな。
「ねぇねぇ、このさ、料理とは別にある各種メイドによるサービスって何?」
「メイドそれぞれに特技があるから……それを有料でするの。たとえば私は、怪談話が専門。あそこにいる子は呪い占いで……あ、今来たあの子たちは透視と悪魔払いが専門……」
 烏頭が顎で指し示した先にいたのは、スタッフルームから出てくる、水晶玉を抱えたウェーブした髪のメイドと、マントを羽織った金髪のメイド。が、彼女らは店内に一歩足を踏み入れた瞬間に、明らかに表情を凍り付かせて固まっていた。動く人形にではなく、明らかにあせびちゃんを見やりながらだ。
 その内の金髪の子がちょいちょいと烏頭を手招き。烏頭はそっとそちらに向かったのだけれど……。
「裏店長、無理ッス。あれは……無理ッス。アタシの腕でどうこうなるっていう問題じゃないッス。多分仕掛けたら、逆にこっちがぶっ飛ばされかねないッス」
「ユナ……泣き言……聞きたくない。アンジュは?」
「なんていうんですかね、透視しなくても大体見えているっていうのは相当にヤバいってわけで……その……や、やります?」
 烏頭が頷くと、アンジュは僕らの席から離れたテーブルに着き、水晶玉に両手を掲げ、何やら呟き出した。
「……こ、これは……何、この状態……」
「アンジュ……わかるように……言って。あの化け物の正体……なに?」
「……見えます。えぇ、見えますよ。……多分、あの子のは先祖代々取り憑かれているんじゃないでしょうか」
「……うん、古い感じがしたから、それはわかる……けれど、あの子があんなに普通にしてられるのが……わからない」
「それなんですけど……いや、こんなの初めてです。……あの子には二体代々受け継いでいますね。一つは悪霊というか、妖怪変化の類で……その、もうある種神々の一体に数えてもいいんじゃないの? っていうレベルです」
「……もう一体は?」
「多分あの子のご先祖だと思うんですけど……荒武者がいまして……その、こっちは悪霊じゃなくて、守護霊の類ですね。えぇ。……生前もかなり霊力の強い人間だったのか、こっちはこっちでちょっとした神々クラスの力を持ってます」
「……まとめると……?」
「強力な悪霊と強力な守護霊が互いの喉元に喰らいつくような有様で、絶妙なまでに互角の勝負をしています。……だから、彼女は平気なんです。けれど、若干悪霊の力が外に漏れてるようで……それで……その……このオーラが……」
「つまり、運良く……悪霊と……守護霊の均衡、取れているから、彼女……ヘラヘラしていられる……ってこと?」
「そのようですね。……ね、ユナ?」
「そうッス。つまり強者同士がギリギリの勝負をしている最中に素人に毛が生えた程度のアタシじゃ弾かれるのがオチ……ヘタをするとそのバランスを崩しかねないッス……良い方に転がればいいんですけど、必ずしも……」
「ユナ……エリートでしょ、霊能力一族のサラブレットでしょ……?」
「……えぇ、一応そうなんッスけど、身の程を知ったというかアマとプロの差っていうか……」
「……仕方ない。総力でやる。……メイド、ひまわり以外集めて。退魔する」
「退魔儀式!? や、やるすんッスか!? 『THE WORLD OF THE DEAD』名物出勤中メイド総力による魔封イベントを!?」
「……そう……しないと、あの高いお金払って持ってきた人形……現世を捨てて……成仏、しちゃう……」
 烏頭がその細い顎でクイッと店内の人形台を示し、ユナとアンジュ、そして耳を澄ませていた僕もまたそれに従い、アレを見やる。するとそこには……いやぁ、何というか、もう、アレだね。かわいそう。人形がガラス容器の隅で膝抱えてガクガクブルブル震えてるのな。何か虐待受けてるみたいで、哀れだ。
 ……しかも長かった髪、ストレスなのか、抜け初めてるようだし……。成仏しなくとも、ハゲにはなりかねないな、確かに。
「……アレも相当な呪いのアイテムだと思ったんッスけどね。アレがあぁなるってことは、お察しくださいのレベルッスよ、あの猫耳ガール。……お帰り頂くっていう手段は……?」
「我が冥土カフェは……如何なる悪鬼も受け入れる店……。本人の意志で食べて出ていくまで……お客様……。私、見張ってるから……準備、ね」
 アンジュがションボリして「……了解ッス」と受け入れるも、ユナの方はキッチンの方に小走りに行くと、店内に聞こえるような声で「店長! オーダー急いで!!」と叫んでいた。
 ……何だか申し訳ないことになってきたな。著莪はさっきからケラケラ笑ってばかりだし、あせびちゃんは物珍しい店内に相変わらず興味津々で、猫よろしく帽子の耳をピクピクと動かして辺りを覗い……うん、アレ、どういう原理で動いているんだろうな。未だに謎過ぎる。
 ……まぁ、以前に烏頭にいろいろやられたことを考えればいい気味だと思えなくもないけれど、お店に迷惑かけている感じがして……その、小心者の僕としては……ちょっと気になる。早めに喰って、出ていった方がいい感じかもしれない。
「ご主人様……お持たせいたしました。ダージリンにブラッディ・アイ二つ……です」
 裏店長こと烏呪こと、うじゅじゅこと……烏頭が恭しく銀のトレイに乗せた紅茶と、グロテスクなドリンクを二つ持って来てくれた。さすがのそれには入店してからずっとメイドたちの慌てぶりを笑っていた著莪でさえ思わず黙るほどだ。
 ……その、さ。ダージリンは普通なんだけど……ブラッディ・アイはグラスに透明感のある赤いクリアなソーダ水の中に……眼球が幾つも沈んでいやがるのね。
 それも眼球っぽいっていうんじゃなくて、マジモンにすら見えるリアルなヤツが……。
「……うじゅじゅ、何、これ……」
「カルピスをゼラチンで固めたも……の。結構リアルでしょ? ……ネットの動画サイトでやっている人のを見て店長がパク……参考にして作った、の」
 作り方は眼球サイズの球体の氷を作る容器を雑貨屋で見つけてきて、まずは瞳孔代わりに色の濃いゼリーを少量入れて固め、そこに虹彩代わりの瞳孔よりやや薄めのゼリーを投入、さらに固めて最後に白いカルピスをぶっ込み、球体として固めるのだという。……ゼリーのクリアな感じが実に生々しい……。
「うちのオリジナル……で、眼球の血管も、再現して……リアリティアップで魅力もアップ……」
 いや、グロイよ……。
 著莪が隣から視線で、お前が先に喰え、と言ってくるので、仕方なく僕は付属のストローをグラスに入れるのだけれど……眼球に突き刺さっちゃって、グロさがアップ。吸ってみる。……うん。最初にゼリーが……カルピス味なんだけれど……何か、嫌な感じだな……。
 そして赤い炭酸水の方は、ベリー系の爽やかな酸味のあるもので……こっちは普通においしく頂ける。多分血をイメージしているのだろうけれど、ただのジュースだ。
 僕はパフェ用のスプーンで、眼球をすくい上げると、一口に行く。……うん、こちらもカルピスの味しかしないので、瞼を閉じて喰えば割と普通な……特別変な味がするようなものじゃなく、想像通り、そのままの味わい。
 ……いわゆるメイド喫茶らしい、値段の割に味は極々普通という、アレだ。
 著莪も安心したようで恐る恐る食べ始めた頃、あせびちゃんの鮮血が飛び散ったような、赤黒いベリーソースがたっぷりかけられたケーキ(眼球添え)が届き、そして……著莪のハンバーグもまた……。
「わぁ〜、あやめちゃんのおいしそうだねぇ〜」
「……そうか、そういう意味でのハンドハンバーグか……」
 著莪はどん引きしつつ、持ってこられた熱々鉄板の上の……人間の手を見やった。正確には人間の手の形をした、ハンバーグだ……。
 それはどう見ても女性の手の形……戦場とか焼け落ちた廃屋の中とかで転がっていたら本物の見まごうばかりの出来である。
「あのさ、うじゅじゅ。アタシが頼んでおいてなんだけど、これって、リアル過ぎない……?」
「それ……ウリだから。実際の手から取ったシリコンの型に挽肉……と、あとちょっといろいろ入れて……オーブンで焼いたの。普通にやろうとすると形が崩れたり、指先……折れたりするけど……そこは企業秘密」
 ちなみにコレ、メイド店員の数だけ型があるらしく、オーダーの際に誰の手を食べたいか、選べるのだそうな。実際手の平側だけリアルなのだけれど、手の甲側は鉄板に密着するように平面で、横から見るとすぐに作り物だと知れた。
 ……ちなみに一番人気はひまわりちゃんだそうな。手が小さい分、挽肉の量が少なく、さらには火の通りも良くて素早く作れるため、お店にとってはウハウハらしい。
 店長の娘だからって、そこまで活用するのはどうかと思うのだけれど……烏呪曰く、本人が楽しんでやっているので問題ないのだそうだけれど……どこまで本当なのやら。
 僕はちらりとカウンター席の奥、厨房の扉から顔を半分だけ出して震えているひまわりちゃんを見やる。完全に恐怖の色に瞳は染まっているのだけれど……アレ、ホントに楽しんでいるのか……?
 しかし何だな、改めて店内を見回していると……顔を青ざめさせているメイドと、震え続けている人形に興奮する客たち、という二極化が凄まじい……。
「……って、お、著莪、いったのか」
「うん、まぁ、匂い嗅いだら普通のハンバーグだし。ホレ、佐藤、薬指やるよ」
 著莪に食べさせてもらうと……うむ、粗挽き胡椒をたくさん使ったスパイシーな、そして玉ねぎ等を使っていないのか、やや固めながらその分お肉感のあるハンバーグ。確かに普通だな。
 著莪がハンバーグというか烏呪の指にフォークを突き刺し、ナイフで切断するシーンさえ見なければ……。
「わぁ〜、フレッシュなソースだぁ〜」
 あせびちゃんがケーキを食べつつ、そんなことを言うのだけれど、口の端にそのソースが……。そしてそのタイミングで彼女は眼球を口の中で転がし出すものだから……もう、何というか、笑顔と相まってなかなかのサイコホラーな雰囲気が充ち満ちていた。
 ……この店、本当にこんなんでやっていけてんのか……?
 不意に店内に流れていたリズミカルなBGMが失せ、代わりにガチもんのお経が流れ始めると、観客たちが色めき立った。
――嘘、今日ってイベント日だっけ!? ――特別開催キターッ! ――名物メイド総勢による悪魔払いだ! ――ラッキー! これが見られるなんて、今年一年いいことあるわ!
 そしていつの間にか店内にいた烏呪とひまわりちゃんを除く五人のメイドたちは各自、和洋中というか、様々な宗教のものと思しきアイテムを身に纏い、僕らの席を取り囲んだ。
 一見、厳かなものに見えなくもないのだけれど……各自がメイドコスチュームの上にてんでばらばらな装備なもんで、何というか……一つ一つが本格的であっても統一感がないと、全体的に寄せ集めというか、チープに見えるもんなんだなぁ、という感想を抱かざるを得なかった。
「これより……THE WORLD OF THE DEAD名物、メイド総力による……退魔の儀式を……行います……。アンジュ、お香」
 烏呪に言われ、アンジュが手にしていた数本の線香に着火。辺りに煙が舞う……のだけれど……何故だろう。あせびちゃんの周りにだけ、煙が一切寄りつかねぇ……。
「総員……退魔、開始」
 烏呪のその声を切っ掛けに、メイドたちが一斉に祈祷を始める。ある者は膝をついて手を組み、またある者は神社で見るあの白いファサファサがついた棒を振り、そしてまたある者は聖水(?)を滴らせた短剣を振りかぶり、あせびちゃんのやや上の方で剣を振るう……のだけれど……一降りで剣はおろか、メイドごと吹っ飛んでいった。
「ジュジュ!! お、おのれぇ、日曜出勤のメイドの中で二番人気のジュジュを……!!」
 メイドの一人が言うなり、彼女らは一斉にさらなる祈祷の言葉を激しくさせる。だが、それを受けているあせびちゃんは不思議そうに首を捻るだけであった。
「そろそろ……私も……いく……よ」
 烏呪は慣れた動作で両手に呪符を広げると、あせびちゃんに向けてそれらを放つ。計一〇枚のそれが……驚くべきことにあせびちゃんを囲むように空中に張り付いた。
「おぉ〜! 手品ショーだったんだねぇ〜」
「……あせび、多分、それ、違うから。まぁ楽しんでるようだから、いいけどさ……」
 烏呪は何らかの呪文を唱えながら、空中の札に釘を刺していくのだけれど、その度にあせびちゃんの周りでパチッパチッと静電気というか、ラップ音が鳴り響く。
「ソォーダァー! イケェー! マケルナァー! ガンバレー!!」
 ……ガラスケースの中の人形が応援しだしやがったぞ……。しかも結構アグレッシブというか、プロレス見に来た熱狂的ファンみたいに、両手を振り上げながら、叫び散らし……あっ。
「うる……さい……ッ」
 烏呪が人形を見もせずに、呪符を一枚投げるとガラスケースに貼り付いた。
「ヒギィ!! ラメラメラメェ〜!! アヒィ!!」
 人形がビクンビクンと痙攣しながら、倒れた……。
 ……もう、わけがわからないよ……。
 そうこうしている間にぽっちゃり包帯メイドのアイリが吹っ飛び、ユナがその場で倒れ、一人が天井に叩きつけられ、そしてお香を持っていたアンジュは金縛りにあっているらしく、線香が燃えてきて手に火が迫ってくるのを冷や汗流しながら無言で見つめていた。
 かくて残っているのは烏呪一人になったのだけれど、彼女が空中に貼り付けた呪符はそのどれもが焦げて灰になりつつあり、劣勢は明らかだ。
「クッ……初代心霊現象調査研究部部長Tさん直伝の……呪符……なのに……」
 ……うちの学校って、結構伝統ある部が多いよなぁ。あぁ、このブラッディ・アイ、飲んでいると段々おいしく感じてくるなぁ……。
「裏店長! 諦めてはダメです!」
 あ、短剣持ってたジュジュが復活した。
「そうッスよ! アタシたちがやられたら、もう、世界が終わってしまうッス!」
 倒れていたユナも復活。
「裏店長……! これを……!! 」
 天井に貼り付けられていたメイドが懐からペンサイズの銀の杭を五本、烏呪に向かって投げる。
「…………………………!!」
 いよいよ指先にまで線香の火が迫ってきているアンジュが何かを言おうとするも、金縛りのせいで何も喋れないようだが……応援しているようだ。
 烏呪は銀の杭を受け取るなり、「ハッ」の声と共にあせびちゃんに向かって投擲。灰になりかけていた護符の近くの空間に刺さり、杭同士の間で何やら陣がうっすらと浮かび上がって……そういえば、僕、今何しにここに来てるんだっけ? あれ、おかしいな、何でこんな特撮もののもビックリなショーを見せられているんだろう。
「凄いねぇ〜、手品と劇の合わさったサービス……えっと……あっ! ハプニングバーっていう、やつだよね〜」

 A. 違います。

――負けないで! ――烏呪さん、ここが踏ん張り時ですよ! ――凄い、こんな凄い場面に出会えるなんて……!! ――まさに一世一代の退魔儀式! ファンタスティック!! ――ユケェ、マケルナァ! イマコソショウブノトキゾォー!!
 観客たち(+痙攣してる人形)まで応援を始めた時、烏頭の病的に白い顔に、かすかな微笑みが浮かんだ。
「みんな……ありがと……。これが、最後の勝負……!」
 烏呪が腰を落とし、両手を前に掲げ、さらに呪文を唱えると、銀の杭がバチバチと放電でもしているかのような音を立てつつ、ゆっくりと……まるで見えない壁を貫いているかのようにして、あせびちゃんに迫っていく。
 その影響なのか、天井のメイドは地上に降り立ち、アンジュの拘束も解けたようだ。そしてメイドたちは総出で烏頭の周りにて膝をつき、手の平を銀の杭に捧げ、烏呪の詠唱に言葉を重ねていく。銀の杭がさらにパワーを……いや、これ、仮にメイドの力が上回った場合、あせびちゃん串刺しになるんじゃないの?
「あの、さ。著莪、これ、止めた方がいくない?」
「んー、ちょっちアタシの予想よりもシリアスになりすぎているけど……まぁ、いいんじゃない? あせび、楽しそうだし」
「……あせびちゃん、串刺しになるぞ」
「いやぁ、大丈夫っしょ? ……あせびがこんな素人に毛が生えた程度の若い人に負けるようなら、もうとっくに……」
 ……何となく、納得出来てしまう自分が嫌だな……。
 実際あせびちゃんは「わぁ〜、凄い凄い〜」といつも通りの間延びした声で歓声を上げつつ、紅茶にケーキに……と普通にカフェとして楽しんでいるのだから……まぁ、著莪の言うことももっともだと思えてくる。
 メイド総出の力を合わせ、銀の杭はグイグイとあせびちゃんとの距離を詰めていく。バチバチと雷撃のようなものを響かせながら、徐々に、徐々に……!
 ……アレ? これ、本当に行くんじゃないのか?
 僕らはそんなことを考えながら、著莪の頼んだグロテスクなハンバーグを二人で食べつつ、眼球を咀嚼し、赤いジュースを啜る。
 そして、烏呪の白い肌が汗ばみ、朱が浮かび、そこに長い黒髪が貼り付く様ってのはちょっとしたエロスだなぁとか思っていた……その時だった。
「行けるッスよ裏店長!」
「敵の限界が見えてきた!!」
「気……最後まで……抜かない……で!」
 メイドたちが活気づいたと同時に、あせびちゃんは口元を紙ナプキンで拭った。
「ふぅ〜。ケーキも紅茶もおいしかったぁ〜。……ん? ……あ……へっくしッ!!」
 あせびちゃんのくしゃみ。その瞬間、それまでジリジリと迫ってきていた銀の杭五本が粉々に砕け、その無数の金属片が店内中に弾け飛んだ。
「「「ひぎゃあぁぁあぁああぁあーーーーーーーーーーーーー!」」」
 メイドたちが吹っ飛ばされて床を転がり、客と人形が悲鳴を上げて頭を抱えて伏せる。唯一、烏呪だけが無言のまま尻餅をついていた。
 ……メイドの総力が、あせびちゃんのくしゃみに負けるのか……。
 まるで店の中で散弾銃でもぶっ放したかのような有様の中、あせびちゃんが目を見開き感嘆の声を漏らした。
「おぉ〜、凄い凄いぃ〜! 派手だねぇ〜!」
「あせび、満足した?」
「うん。ケーキも紅茶もおいしかったし、イベント凄かったよぉ〜」
「じゃ、帰ろうか」
「そうだねぇ〜。あ、お会計は……」
「あぁいいのいいの、佐藤が払うから」
「え〜、いいのぉ〜? 洋くん、ありがとぉ〜」
 そうにこやかに笑って、著莪とあせびちゃんは戦場となったかのような店内を歩いて行った。
 僕は伝票を手に取ると、尻餅ついている烏呪の元へ。
「あの、さ……うじゅじゅ、お会計を……」
 呆然としていた烏呪は、数秒おいてから眼鏡の向こうの瞳を僕に向けて……ちょっと睨んだ。
「あの呪符……高いから……ね」
「……呪符!? それまで!?」
「うち、お客の除霊とか悪魔払いもやってるから……当然、有料サービスで」
「頼んでない頼んでない!!」
「ダメ……洋、逃がさな――」
 烏呪が僕の胸ぐらつかみ、額と鼻先同士をくっつけながら怒り気味に言うのだけれど……その言葉は最後まで言い切る前に、途切れてしまった。……あせびちゃんの言葉によって。
「楽しかったねぇ〜、また来たいなぁ〜」
 ぶっ飛ばされていたメイドたちが慌てて顔を上げると「裏店長〜!」と悲痛な声を上げ、さらにはガラスケースが割れて床に落ちた人形までが「ウジュジュ〜!」と喚き……もう、アレだな、こいつに限ってはこの三〇分ぐらいの間に心霊現象感が完全になくなったな。
 チッ、と烏呪は僕の口に唾でも吐き入れるようにして舌打ちすると、突き飛ばすようにして、胸ぐらを放した。
「店内装飾の弁償代も払わせたかったけど……いい。飲食代だけ、でいい。……けど……もう、あの化け物……連れてこないで。……約束、出来る?」
「……うん、約束するよ、うじゅじゅ!」
 僕は片膝をつき、まるで騎士が姫の前で宣誓を述べるかのように、誠実さを持ってそう言った。
 そう、僕は連れて来ることはない……が……まぁ、あせびちゃん単体が自分の意志で来るかもしれないけど、それは僕の知ったことじゃないので、どうでもいい。
 そうして僕はブラッディ・アイとケーキセット、合わせて……ちょっとしたゲームソフト一本分ぐらいのお値段を払って、その『THE WORLD OF THE DEAD』を後にしたのだった。
 最後に、店の入り口から店内を見やってみれば……メイドも客も近くの人間と抱き合いながら、おぞましいものを見る目で、僕らを見やっていた。


「……っていうことがあってさ。今日は大変だったんだよ」
 日付が変わった深夜、僕はそう、男子寮の角部屋で、神田君と蔵田君、そして家主である矢部君に一部始終を語って聞かせたのだった。
「……なるほどな。それで、佐藤よ、どこからが妄想だ?」
「いや、神田君、妄想じゃないって。実話実話」
「このおっぱい博士の蔵田がわざわざ説明することじゃないかもしれないが、同志、佐藤よ。……いいか? 我々にとっちゃ女の子とカフェ……それもあの著莪あやめさんとその同級生? そんな女の子らとカフェに行くって時点でファンタジーストーリーなんだよ!!」
「……あせびちゃんはともかく、著莪は身内だっていつも……」
「従姉なんだろ!? 結婚できんじゃん!! アリアリじゃん!! っつぅか、うちの家系にも美人な従姉よこせよ!!」
 落ち着け矢部、と立ち上がった彼を神田君と蔵田君が宥め、座らせた。
「……仮に今し方の佐藤の話を事実だとして、だ」
「いや、事実だって」
「いいから、黙ってこのおっぱい博士の話を聞け、佐藤。……いいか、さっき事細かにメイドの説明をさせたが……その、何だ、さらっとお前流したが……その……ひまわりちゃんって子は……明日もいるのか?」
「え? いや、知らないけど……お手伝いだから、いつもいるわけじゃないと思う。でも、明日っていうか今日は日曜だし、あせびちゃんがトラウマになってなければ……いるんじゃない?」
「つまり、お前……こういうことだな? 三島ひまわりちゃんという幼女メイドがいて、その子の手形のハンバーグを本人を前にしてしゃぶったり自由に出来たりする……というわけだな!?」
「いや、喰おうよ、そこは。何故にしゃぶる……」
「おい、佐藤。こちらにいるおっぱい博士の蔵田を舐めるなよ。こう見えてコイツ、何気に貧乳も大好きだ。いつだって舐めたいと思ってるんだぞ」
 ……うん、もういいよ、神田君……。
「無知な佐藤に説明してやろう。そのハンドハンバーグは手から直接型を取った……即ち、ハンバーグをしゃぶる……これはもう間接的にひまわりちゃんの手をしゃぶっているも同然!! ロリメイドの指をだぞ!? いや、別にその子に限らなくとも、その場で、同じ空間で働いているうら若きメイドさんたちの指をッ、本人を眺めながら……素晴らしいと思わないか!?」
 うん、素晴らしい。素晴らしい……変態だ……。
 ――と、その時だった。世界が揺れ……いや、烏田高校男子寮が揺れた。地震かと思ったものの、そうじゃない。これは……ヤツか!?
『ロオォオォオォオォォオリィィイイイィィイィイィイィィイイイィ!!』
 ドンッと音が迸り、一際強い衝撃が。僕は慌てて矢部君の部屋の窓を開けて、顔を出してみれば……僕の部屋の隣、その窓から神々しいまでの光が漏れていた。
「……やはり、霧島君か!」
 茉莉花を下回るロリ、しかも眼鏡なメイド……彼が覚醒しないわけがなかったのだ。
「まずい、ひまわりちゃんが危ないッ!」
 僕はすぐさま烏頭にその旨の連絡を入れようと窓から頭を引っ込め、スマホを手にする。
 すると神田君たちが「明日はホットなパーティだぜぇ!」とこっちはこっちでテンションマックスで、半裸で踊っていたのが目に入ったが、それを無視して僕は烏頭をコール。
『……なに……?』
「ひまわりちゃんが危ない! 明日は出勤させるな、人外と化した霧島君が襲いかかってくるぞ!!」
『……何言ってる……の?』
 僕は事細かに霧島君が如何に凄いロリ趣味であるかを饒舌に語ったのだけれど……今いち烏頭のノリが悪い。
『洋……わかったから、もういい。……そういう妄想トークは……仙相手にでも、やって』
……いや、昼過ぎにあれだけ現実離れした超常バトルを繰り広げておきながら、その発言はおかしいだろ……。
「違うんだ、烏頭。信じられないかもしれないけれど、これは本当なんだ!」
「はいはい……私、もう眠いし……切る……ね。バイバイ」
 ツーツー、という電話の音と、「ヒャッハー!」と喚き散らす友人たちの声を聞きながら、僕は思う。
 信じられぬものってのは、やっぱりどうしても早々お目にかかれるものじゃない。いいこと、悪いこと、意味不明なこと……とかく不思議で、信じられぬものってのは目を凝らしていたとしても、なかなか見つけられるものじゃない。世界はいつだって退屈で、ありきたりで、変化が薄いもの……そう、多くの人は思っていることだろう。
 けれど、きっと実はどこにだって信じられぬもの≠チてのは案外溢れているんだと思う。単に、僕らはそういったものに見慣れてしまい、日常というものの中に埋め込んでしまっているだけなのではないだろうか。
 目を凝らし、耳を澄まし、そしてフラットな常識的感性で世界を見て見よう。
 例えば僕の目の前で繰り広げられている、半裸の男たちが着ていたシャツを振り回し、笑いながら互いの素肌に叩きつけ合うという最近良く見かける遊びだって、見る人によっては奇想天外なものに見えるかもしれないし、窓の外を光クリオネのような姿となった霧島君が燦々とした光を放ちながら天高く昇っていくのも案外人によっては………………………………いや、それはおかしいだろ。アイツ、何者だよ。


 <了>