『土御門静のバーガー放浪記』

 そこは日本一の書店街と呼ばれているだけあって、大通りに面してたくさんの書店、古書店が建ち並んでいた。そのうちの一つ、大きな道路に面した古書店から姿を見せたのはオリーブ色のローブを纏った人物だった。
「ここもハズレでしたか……」
 目深にかぶったフードから、溜息交じりの言葉が零れる。
 仮装やコスプレとしか思えない、およそオフィス街には似つかわしくない格好だが、道行く人は誰もローブの人物を気にした様子もない。いや、見えていないのだ。
 それがローブにかけられた魔法だった。
 クズノハ女子魔法学園の関係者は“こちら側”で行動する際はこのオリーブ色のローブを身につけることになっている。それは魔法の存在を知らない一般人たちへの配慮であると同時に生徒たちを守るためでもあった。
 その日、土御門静は学園長の指示で“こちら側”へと探し物をしに来ていた。
 学園長の星読みによれば、今日この町に新たな『原書』が出現するということだった。
 『原書』
 それは、ありとあらゆる物語から生まれる。
 一見すればただの古い本にしか見えないが、膨大な魔力を有し契約した者に特別な魔法を与える魔法の本だ。
 静のように『原書』と契約した者は『メドヘン』と呼ばれ、魔法学園で学ぶことが義務とされている。やがてその力に相応しい精神と肉体を持つと認められた『メドヘン』は、一人前の『原書使い』となって世界に羽ばたくのだ。
 しかしその時はまだ遠い。静はまだまだ修行中の身。『メドヘン』として、日々、様々な義務と任務を果たさなければならなかった。その一つが『原書』の回収だ。
 『原書』は本に、特に同じ『原書』に引き寄せられる習性があり、自然と原書図書館に集まるようになっている。だが、ごく稀に群れからはぐれてさまよう『原書』が出てくる。そういう世話の焼けるものは“はぐれ”などと呼ばれていた。
 この“はぐれ”らしき存在が、今日ここに現われるということで静は特別な許可を得て学園の外までやってきたのだった。
 だが、二桁以上の書店をめぐってみたものの『原書』の痕跡すら見つからなかった。
「星を読み違えたのでしょうか。それとも解釈が間違っていたのか……いずれにせよ、一度戻って学園長と相談した方がいいですわね」
 あらゆる魔法に精通する学園長でも読み違えることがあるのかと驚きながらも、静は学園へと戻ることにした。その足が細い路地へと向かおうとした時。
「ですが、その前に……」
 くるりと踵を返すと、静はやけに軽い足取りで歩きだした。

 静がやってきたのは、とあるハンバーガー店だった。
 俗に言うファストフードとは違い、高級志向のハンバーガー専門店だ。
「ん~……待ちに待った瞬間ですわっ」
 注文から十分、やっとのことで運ばれてきたハンバーガーの香りを静は胸いっぱいに吸い込んだ。
 お店はそれなりに混雑していたが、相変わらずオリーブ色のローブを身につけている静を誰も気にした様子がない。認識阻害の魔法はここでもばっちり効果を発揮していた。
 それをいいことに、静はひとり興奮気味にハンバーガーの解説をはじめる。
「ふむ……バンズは固め、シンプルながら小麦本来の色と香りがよく出ています。レタスもトマトもとってもみずみずしくてぐっどですわ。なによりこのパティの肉厚さときたら! とろりと溶けはじめたチェダーチーズがそっと包み込み、まるで天の羽衣のごときたおやかさではありませんか!」
 背の高いハンバーガーを一段一段確認しつつ興奮気味に語っていた静が、ふいに表情をくもらせる。
「さすが、お値段がはるだけのことはある……と言いたいところですが……残念。実に残念ですわ」
 静は、ひどく沈痛な面持ちでかぶりを振った。
「素材は完璧。ボリューム感も申し分ありません。ですが、一つだけ足りません……そう、このハンバーガーにはピクルスが入っていないのです!」
 だん! とテーブルを叩いて静は誰にともなく訴える。他の客が音に驚いて辺りを見回すが、認識阻害のせいで誰も静を見つけることができなかった。
「胡椒の利いたパティをレタスのシャキシャキ感とトマトの甘みが支え、それらをチーズのコクがぎゅっと引き締める。さらにそれをバンズが包み込むことで一体感を形成する……しかし、しかしです! 完成されているがゆえ、食べ進めればその分、飽きが来るのも早い。そこで仕事をするのがピクルスなのです! ピクルスの強い酸味がアクセントになって、味に慣れきった舌をピリリと刺激する! いったんリセットされた味覚は、ふたたび肉と野菜の絶妙なマリアージュを楽しむことができるのですわ!」
 静は目の前のうずたかいハンバーガーに向かって熱弁を振りかざす。
 誰が耳を傾けているわけでもない完全なる一人相撲であるが、当の静は気にしない。
 もとより彼女にとってこれは秘密の時間。誰にも見せることのない姿である。
「ハァ……文句を言ってもはじまりませんわ。今日はこれで我慢いたしましょう」
 そう言うと、静は玉でも掲げるようにうやうやしく両手でハンバーガーを持ち上げ、ひとくちかぶりついた。
 静が口をめいっぱい開いても上のバンズまで到達しなかったが、下品に大口あけるでもなく、まるで魔法のように上手に口にいれた。
「っ!?」
 途端に静は驚きに目を見開いた。
 これは……違う!
 バンズ、レタス、トマト、そしてパティとチーズ、目視で確認してきた具材が渾然一体となり味のハーモニーを描く中、遅れてやってきたなにかが静の舌を鮮烈なまでに刺激する。
「こ、これは……ピクルスの酸味! いったいどうして……!」
 静はあらためて五重塔のごとく積み重なったハンバーガーを具材たちを確認する。
「そ、そういうことでしたのね……」
 それは、トマトとレタスの間にそっと隠れるように潜んでいた。
 刻んだピクルスをマヨネーズと和えたもう一つのソース。
「なるほど……そういうこと、でしたのね……」
 このソースの意味に気づいた時、静は大げさに天を仰いだ。
 ハンバーガーは積層構造。食べる際に少なからず具材の調和が崩れてバラバラになってしまうことは避けられない。とくに真ん中にある薄切りのピクルスは一度ではかみ切れず歯と歯ではさんだまま、ずるりと中から引っ張り出してしまうことが多々ある。
 そうなれば一口には多すぎる量のピクルスを摂取することになり、同時に残ったハンバーガーはピクルスが足りず味の調和は乱れてしまう。
 ついでに、ソースのついたピクルスがぺちゃっと下唇にくっついたりして不快な感触と共に口の周りをしたたかに汚してしまう。
 それは、もはやハンバーガーの宿命。逃れ得ぬ運命とも言える。だが――
「このように細かく刻んでソースにしてしまえばそんな悲劇は起こらない。さらにはマヨネーズの酸味とコクが加わりより複雑な味わいを作り出す……お見事ですわ」
 静は、そっと拍手を贈った。
 目の前の見事なハンバーガーに、そしてそれを作ったシェフに。
 相変わらず静の存在に気づく者は誰もいなかった。

「ふぅ……ハンバーガーとは、なんと奥の深い食べ物なのでしょう」
 ハンバーガーと付け合わせのポテトを残らず堪能し、静はとても満ち足りた気持ちで店を後にした。
 高級志向のハンバーガーなにするものぞ。店に来た時に持っていた身構えた気持ちは、静の中からきれいさっぱりなくなっていた。
 それと同時に、この感動を一刻も早く文章にしたためねばならないという強い使命感が湧き起こるのを感じていた。
 静が食べ歩いたハンバーガーと、そのレポートはすでにノート数冊に渡っている。
 誰かに見せるわけではない。完全な自己満足である。
 つまるところ土御門静は“ぼっち”だった。
 お腹も心も満足した静はローブのフードをかぶり直すと、魔法学園への帰路につこうと空飛ぶホウキを取り出した。
 だが、その時、赤と黄色の看板が静の目にとまる。
 それは、ごくありふれたファストフード店のものだった。
「……ゴクリ」
 静は思わずノドを鳴らす。
 高級志向のハンバーガーにはとても満足した。だが、やはりスタンダードでよりジャンキーなハンバーガーの味も捨てがたい。
「だ、ダメですわ! そんな、一度に二つも三つもなんてはしたない!」
 静は悩んだ。
 土御門家の娘としての矜持、任務をサボっての買い食いという罪悪感、しかしながら今日を逃せば次に“こちら側”に来られるのはいつになるかわからないという事実。
 悩みに悩んだ結果……
「……て、テイクアウトならギリギリセーフですわ!」
 そんな妥協と言い訳を口にして、静は目の前のファストフード店に飛び込んだ。
 この時、静が誘惑に打ち勝っていたなら。
 育ち盛りで少しばかり食いしん坊でなかったら。
 彼女と言葉を交すことは一生なかったかもしれない。
 この日、この場所で、二人の少女は出逢い物語ははじまった。