宇宙の闇は深い。
瞬く星々の中、一際強く、美しく輝くのは青い星、地球。
そこへ闇の世界を横切りながら、巨大な岩塊が近づいていた。
地球に接近するのは、とてつもなく巨大な隕石だった。
全長三十五キロ。
地球の大きさからすれば些末なものと言えるが、それだけの規模の隕石ならば、大気圏で燃え尽きることなく地表へと到達する。
白亜紀末に地球に衝突し、恐竜絶滅の原因となったとされる小惑星の規模は、一説には直径十五キロと推測されている。
それを念頭におけば、この小惑星の落下が地球に及ぼす影響がどれほどのものかは考えるまでもない。
そんな小惑星の上、人の生を護る大気もなく、ぬくもりもない。何もかもが凍えるはずの虚空に、一人の少女がいた。
そこはまぎれもなく宇宙空間だというのに、彼女は平然と小惑星の上に立っている。
地球上にいるかのように、岩塊を踏んで立つ少女は、白いドレスをまとう。
花の意匠があしらわれ、フリルとリボンで飾られたドレスが闇に浮かぶ。
金色の髪は星と花で彩られた白いリボンでツインテールに束ねられ、ヘッドドレスで飾られて、大気などあるはずがないのに、後ろへ流れる。
地球に向かい、落ちゆく小惑星の上、彼女は微笑んでいた。
血の色にも似た赤い瞳が、目の前に浮かぶ青い星を見つめている。
「私を裏切った世界に破滅を」
音のない世界で、彼女は呟いた。
優しい笑みの中、彼女の瞳の奥には何の感情も浮かんでいない。
ドレスの少女と共に小惑星は地球へ落ちる。
圧縮された大気が高温となり、岩塊を焼く。
赤く染まり、崩壊し、墜ちていく世界の中、少女は変わらぬ様子で佇む。
岩をも溶かす高熱は彼女のフリルを焦がしもしない。
そんな中で、彼女は後ろを振り向いた。
焼き尽くされていく岩塊の上に、いつの間にか少年の姿があった。
彼は詰襟の学生服を着ている。
襟元には中学の襟章があった。
その顔に中学生らしい幼さを残した、ごく普通の少年だ。
彼もまた少女と同じように、髪の一本も焦がすことなく、超高速で地表へと落下していく小惑星の上に立っている。
「やっぱり来たな」
少女は言った。
その声はどこか、彼を待ち侘びていたかのように弾んでいた。
「止められるなら、止めてみるがいい」
少年は彼女を見返す。
黒い瞳はまっすぐにドレスの少女を見据えていた。
「止めに来た? 違う。俺は助けに来たんだ」
そう言うと、少年は、少女に向けて一歩を踏み出した。
表面が融解している岩を少年のスニーカーが踏む。
赤黒く溶けた岩が散るが、彼の靴も足も焼けない。
「友達だろ。なら、こういうのは止める。そして、助ける」
彼は言い切った。
その言葉に少女が目を伏せる。
虚ろだった笑みが熱を帯びた。嬉しそうに、しかし、同時に悲しげに、彼女は微笑んでいた。
すっと吐息すると、その笑みが消える。
少女は表情を消した顔を上げた。
「お前はもう知っているだろうが」
少女は細い指先を少年へと伸ばす。
「【破滅】という事象。その根源、概念を操るのが、私の持つ【破滅】のオリジンだ」
「知ってる。隕石による破滅ってところか。大袈裟で派手だなぁ」
少年は燃える石を軽く踏んだ。
脆くなっていたそれは砕けて散り、地表から数百キロの上空で燃え尽きる。
「この【破滅】の力を止めることができるのは、この星全ての事象を力とする【星】のオリジンを持つ者。【星】のオリジンズ。つまりはお前、伊原迅だけだ」
「ああ、そうだ」
少年――伊原迅は応えた。
「だから、わかっていた。ここで、この小惑星が大気圏に、地球の中に入った時。地球の……【星】のオリジンの力を使うことができるようになったところで、お前が来ると」
少女は唇を噛む。それでも、堪えきれず、口を開く。
「来ると思っていた! 止めてくれると思っていた! 会いたかった!!」
少女は叫び、白いドレスの裾を翻し、迅へと踊りかかった。
「だけど……! だけど、死ねっ!! 伊原迅!! 私は全てを滅ぼさなくてはならない!!」
滅びながら落ちていく石塊の上、少女は駆ける。
白い頬を涙が伝い、流れたが、それは彼女から離れた瞬間、蒸発する。
「そういうわけにはいかないな。俺はお前の【破滅】ごと、全て受け止める!! この【星】の力でな!!」
迅もまた地を蹴り、少女へと身を飛ばす。
白いドレスの少女と、迅と呼ばれた少年が燃える世界の中で交差する。
真夜中の首都高速上に、四人の少女の姿があった。
防音壁は崩れ、アスファルトは陥没し、そこら中に破壊の跡が残されている。
そんな中、少女たちは疲れ果てた様子で、うずくまっていた。
ぐったりと防音壁にもたれかかっていた少女が夜空を見上げる。
雲ひとつない星空の中に、彼女は夜空を横切り流れていく、いくつもの流星を見た。
「迅さん……」
少女たちの一人が呟く。
誰かがすすり泣く声がした。
その時、彼女たちの後ろから足音がした。
「辛気臭い顔だな」
四人の少女が振り向く。
疲労していたことなど忘れたかのように、彼女たちは立ち上がった。
まだ壊れていない街灯の下、詰襟の学生服を着た少年、伊原迅が佇んでいた。
学生服のあちこちが破れ、焼け焦げ、彼もまた憔悴しきった顔をしている。
迅の腕の中には、気を失った白いドレスの少女が抱かれている。
「ちょっと地球救ってきた」
疲れた顔ながらも、迅は爽やかに笑った。
「約束どおりな」
少女たちそれぞれが安堵の表情を浮かべる。
迅はそれを見て、目を細めた。
その瞬間、四人の少女が動いた。
刀が闇を裂いて走る。
アスファルトを打ち砕きながら現れた竜が咆哮を上げた。
迅の真横の防音壁が拳の一撃で、あっけなく吹き飛ぶ。
「……な、え!?」
吹き荒れる嵐にも似た圧倒的な力が迅を襲った。
突然のことに、迅はただ目を見開いただけだった。
為す術もなく、彼の意識は消し飛ぶ。
最強のオリジンズ、伊原迅は、この日、彼女たちに裏切られ、全てを奪われ、失った。
◆ ◆ ◆
「そう。俺は……全てを失った」
澄み切った四月の青空の下、伊原迅は言った。
中途半端に伸びた髪が鬱陶しく顔にかかり、どんより澱んだ瞳は、言葉を選ばなければ、腐りきっていると形容できた。
制服であるブレザーは着崩し、どこかだらしない印象を受ける。
「そんなわけで、通してくれよ」
「ダメだよ。関係者以外、通すことできないから」
迅の前に立つ警備員はすげなく返す。
山を巡るように走る真新しい道路に、迅はいた。
彼の前には道路を塞ぐ形で詰所がある。
高速道路の料金所にも似ているが、フェンスは高く、監視カメラは見える範囲だけで四つ設置され、道を塞いでいるのは、細いバーではなく、金属製の扉だ。その上、警備員は警棒と鎮圧用の電気銃を腰に提げている。
その扉の上にあるプレートには《両儀院学園関係者以外立ち入り禁止》と書かれていた。
「だから、話しただろ!? 関係者だよ! そう……俺は伊原迅!」
迅は自分を親指で差す。
「二年前、中学生ながらも、あの《流星事件》を解決し、世界を救った男……! この星の英雄。【星】のオリジンズ、伊原迅とは、あなたの目の前にいる俺だ!」
「あぁ、うん。でも、今、君はもうオリジンズじゃないよね」
警備員がやんわりと諭す。
「そ、それは……」
「ここはね。オリジンズ専門の学校で、その関係者以外は立ち入り禁止なんだよ」
警備員が頷きつつ、ポンポンと迅の肩を叩く。
「まあ、君の気持もわからなくはないよ。でも、ほら、無理なものは無理だから、ここはおじさんに免じて、おとなしく帰ってもらえる? ちゃんと送ってあげ……」
「あーーーっ!! あちらに謎の侵入者!!」
迅はいきなり叫んだ。
「そして、今だ!!」と、警備員の横を抜けようとする。
そんな迅の手を警備員がつかむ。
「あ、あれ!?」
そのまま、迅は地面に引き倒され、腕を捻りあげられた。
「い、痛い! 痛い! いたたたたっ!?」
「手荒な真似してゴメンね。でも、通せないから。君、関係者じゃないから」
「うるせーっ! く、くそ! 俺は、俺は伊原迅! 伊原迅だぞー! 【星】のオリジンズだぞーっ!! くそー! 責任者を、責任者を出せーっ!! 伊原迅が来たって、誰かに……い、痛い! 痛いって!? くっそ! 訴えたら、訴えたら、勝てる! 俺は伊原迅……!」
身悶えながら、迅は叫ぶ。
「【星】のオリジンズだった、伊原迅なんだーっ!!」
◆ ◆ ◆
道の端に寄せたワゴン車から、迅はよろよろと降りた。
窓から背広の男が顔を出す。
「もう来るなよ。車の中で、あれだけ説教されたら、懲りただろ」
「……はい」
死んだ目で応えた迅は、あれから半日も経っていないにもかかわらず、やつれて見えた。
「まあ……。気持ちはわからなくもない。喉乾いただろ」
男が差し出したペットボトルのコーラを迅は受け取った。
「すいません。わざわざ送ってもらって」
「いいよ。まあ、なんだ……。まだまだ人生は長いし、がんばってな」
そう言うと、窓が閉まり、ワゴン車は走り去って行く。
取り残された迅は、手の中のコーラに目を落とし、それから、顔をあげた。
数時間、車で運ばれ、今、迅は東京都内の学校の前にいた。
目指していた場所とは違う、住宅街にあるそこは、オリジンという力とも、何の関係もない、迅の自宅から徒歩二十分の場所にある平凡な都内の高校だ。
迅はそこに通っている。
時刻はちょうど昼休みに入った頃だ。
とりあえず、迅はコーラのフタを捻って開けた。
一気に噴き出したコーラが彼の手を濡らして、アスファルトの上に流れ落ちる。
「おぉう……」
生気のない顔で、迅はうめいた。
かつての【星】のオリジンズ、伊原迅。
高校二年の春のことだった。
<つづく>
このあと、ダークサイドに堕ちた迅のエロスが躍動する…!
あんなことやこんなことまで!ぜひ、その目で確かめてくれ!!