詳しい地名ついての記述は、■■■からの申し送りにより削除済み。
東京都内の、とある広めの公園での出来事だ。
植林された木々を照らしていた陽が、わずかに傾き始めるような時間帯。
もうすぐ四月だというのに、空を吹き抜ける風はまだ冷たい。
陽が落ちればさらに冷えるだろう。
そんな中、申し訳程度に舗装された公園内の道を、二人の少女が歩いていた。
「寒いし早く帰りたいな……でも、せっかく来たんだし先輩に実力をアピールしなきゃ!」
中学一年生の少女『波村静那(なみむらしずな)』は、薄暗くなりつつある公園を行く先輩の後に足早で続いた。
「それにしても、現代の東京で『祠(ほこら)が見つかる』なんて奇妙な話ですね、九時宮(くじみや)先輩」
声をかけると、高等部の先輩は振り返らないままに小さくうなずいた。
彼女は名前を九時宮針乃(くじみやはりの)といった。
「そうだね、ちょっと珍しいかも。なんでも、公園内の老朽化した公衆トイレを建て替えようとしたら、裏から出てきたんだって」
「うぇ、トイレですか」
「うん。トイレを壊したら祠が出てきたなんて、面白いでしょう? 噂が噂を呼んで、いつの間にかオカルト系の名物スポットになったんだ」
「それで、今回の異変ですか」
「うん」
静那の手にあるスマホには、ネットニュースの記事が表示されていた。
◥■都内にて謎の祠発見! けが人続出か■◣
東京都内・■■公園で先月、園内施設の建て替えに際して正体不明の祠(ほこら)が発見された。
行政の文書にも記録がないこの謎の祠。
取り壊されることになるかと思いきや、重機の事故により工事は延期。
「これは聖なる物なので壊してはならない」
そう警告する宗教関係者も現れる中、真相究明を試みようと幾人もの心霊系配信者が現地に向かったが、一様に謎の怪我に見舞われたという。
こうしてにわかに注目を集め始めている■■公園の謎の祠。
果たして真相はただの事故なのか、それとも……?
「まだ怪我人が出るだけで済んでるのは不幸中の幸いかな。こういうケースは知名度が上がれば上がるほど凶悪になっていくものだからね。今のうちに……」
「ぐあぁッ!?」
男性の悲鳴が聞こえた。
公園の奥の方、彼女たちが向かう先からだ。
「!」
「噂をすれば、だね」
少女たちは弾かれたように走り出し、公園の奥へと向かった。
元々は公衆トイレが建っていただろう、不自然な空き地。
その奥に、祠はひっそりと存在していた。
しかし今は、それどころではない。
「うぅ、ぐゥ……痛ってぇ……!」
バットを手にした男が、もう片方の手で頭を押さえた状態でうずくまっていた。
歳は二十代後半。
頭の左右を刈り上げたソフトモヒカンスタイルの髪型をしている。
近くには、三脚に固定されたスマホが設置されていた。
「動画配信者の人でしょうか……?」
「かもね。オカルト検証系の人たちはこういう異変に鼻が利くけど、怖い物知らずだから」
駆け寄ろうとした静那を、針乃が止めた。
「こういう時はまず、カメラを止めてから。民間のカメラに私たちが映るワケにはいかないでしょ」
「は、はい……!」
静那はカメラ部分を指で隠しながら三脚からスマホを外し、起動しているアプリを片っ端から止めた。
「止めました」
「ありがとう、静那ちゃん」
針乃は朦朧とした意識の男にたずねる。
「どうされたんですか?」
「ほ……こら…………」
「祠ですか」
「祠を壊そうとしたら……やられた」
「誰に?」
「おれ、に……」
男はぐったりとして気を失った。
「この人、大丈夫ですかね……? 言ってること、なんだかおかしかったですけど」
「軽い脳(のう)震(しん)盪(とう)みたい。少し血が出てるけど、頭の傷は派手に見えるから」
針乃は、元来た道を見やった。
「確か、来る途中にベンチがあったよね? ひとまずそこに寝かせてあげよう。静那ちゃん、頼める?」
「は、はい!」
静那は男の肩を支えながら、祠の前から立ち去っていく。
中学生とは思えない手際の良さだった。
「さて」
陽はいよいよ沈みかけていた。
真っ赤に染まっていた空は徐々に明度を落とし、林は黒々とその下の全てを覆い隠す。
心細い時間帯だ。
「どこからアプローチしてみようかな」
その場に残った針乃は祠に向き直った。
「うーん……」
これ、何のために建てられたものだろう?
そこそこ大きな自然石の一部に、人型の像のようなものが彫られている。
ディテールは歳月によって削り取られ、顔の表情を読み取ることはできない。
笑っているようにも、怒っているようにも見えるが……
「確かにだいぶ古い時代のものだけど、普通の道祖神にしか見えないね。たまたま壊されず時代に取り残されたものを、『何か』が乗っ取ったってところかな……?」
針乃が祠に手を伸ばそうとした、その時。
「その祠に触れてはならん!」
しわがれた声が、針乃を呼び止めた。
振り返ると、そこには袈裟を着た中年の坊主が立っていた。
なぜか、雨も降っていないのに黒い傘を差している。
「……あなたは?」
「近くの寺の住職だ。その祠を壊そうとする愚か者が現れないよう、注意喚起をしていたのだ」
「この祠の由来をご存じなのですか?」
「分からない。ただ、この公園を整備する際にもいろいろと事故があってな。仕方なくトイレの裏側に隠す形で封印されていたのだが……」
「今回の建て替えでそれが再び現れてしまったと?」
「そうだとも。行政はキチンと引継ぎをしなかったと見える」
住職は渋い顔で舌打ちした。
「それに、バチが当たると知ってわざわざ確かめに来る愚か者がこうも多いとは。都市伝説がどうとか、ユーチューバーがどうとか。近頃は畏れを知らん者が増えた。それも、無鉄砲な若者ならいざ知らず、いい歳をした中年までもが……」
住職はクドクドとぼやきながら、黒い傘の下でギロリと針乃を睨んだ。
「その点、お前さんは多少の道理が『分かっとる』ようだの」
「さあ、どうでしょう」
針乃は肯定も否定もしなかった。
「ところで、この祠にはどういった祟りがあるのですか?」
「祟りというほどの物でもない。祠に加えようとした危害が、人間にそのまま跳ね返る。この祠は『聖なる物』であるがゆえに、身を守る手段を有しているだけだ」
「なるほど、さっきの人はその現象を試すためにバットで祠を殴りつけたワケですか」
「そうなるな。愚かなことだ」
「私も一応試してみます」
針乃はそう言って、拳を握りしめた。
「ば、馬鹿者! 何を……」
住職は言いかけて、ハッと目を見開いた。
握りしめられた針乃の拳に、青い光が灯っていた。
電球のようなはっきりとした光ではない。
拳や腕の輪郭線がわずかに輝きを帯びる程度の淡い燐光だ。
その淡さゆえに、その現象がトリックではないことが住職の目にも明らかだった。
「へぇ、あなたにも『見えている』んですね」
「う、うむ……」
住職は、曖昧に相槌を打った。
彼女から放たれている『力』が、どういう理屈の、どういった『力』なのかは分からない。
しかしその光景を見て住職は思ってしまったのだ。
「この娘なら、『祠』を壊してしまうかもしれない」と……
「えいっ」
針乃の右拳が、住職の視界から消失した。
次の瞬間、静かな衝撃がズッと周囲の地面を揺らした。
祠を殴ったのだ。
まるで、小さな隕石が落ちたような衝撃だ。
「な……っ!?」
少女のものとは思えない剛力に、住職は思わず目を見開いた。
しかし……
「なるほど、確かにダメージがない」
石材を殴りつけた拳を、針乃はゆっくりと引いた。
祠には傷一つ付いていなかった。
「何らかの呪(じゅ)禁(ごん)が働いていますね。普通の石材なら今ので砕けていたでしょうけど……」
針乃がつぶやいた、次の瞬間。
ごっ。
石同士を強く打ち付けたような鈍い音がした。
と同時に、針乃の頭部が衝撃に弾かれて揺らいだ。
「……っ」
針乃は、言葉なくその場に倒れ伏す。
「おい、大丈夫か!?」
住職が駆け寄るが、返事はない。
当たり前だ。
石が砕けるほどの衝撃を頭へ直に受けたのだ。
最悪、死んでしまってもおかしくはない。
「この娘でも、無理だったか……」
住職は、力無く横たわる針乃を見下ろしている。
「く……っ」
その口の両端が、グニャリと歪んで吊り上がった。
「く、くく、くはは、はははは……! 驚かせおって。ようやくここまで噂を育てたのだ。そう簡単に壊されてたまるものか」
それまでの厳格な表情を忘れたかのように、住職は下卑た笑みを浮かべた。
「どういう使い手かは知らんが、まだまだ未熟よの。さっきの馬鹿を連れて行った小娘も、じきに戻るだろう。あの娘には、この祠の恐ろしさをより広めてもらわねばなるまい。人々の畏れこそが、我らが糧になるのだからな」
その時、住職はふと気になって、針乃から目を離した。
「そう言えばあの小娘、遅いな。近くのベンチに人を運んだにしては……」
時間がかかり過ぎている。
気になった住職は、静那が男を運んでいった方向へと目をやった。
しかし、戻って来る気配はない。
「まあいい。もうすぐ陽が落ちる。それに紛れて退散するとしよう」
つぶやきながら、針乃が力なく転がっているだろう足元に視線を戻した。
しかし、そこには何もいなかった。
祠の反撃を受けて倒れたハズの女子高生の姿は、音もなくかき消えていた。
「こちらですよ、住職さん」
「なにっ!?」
住職は、跳び上がりそうになりながら振り向いた。
傘で死角になっていた背後に、針乃が立っていたのだ。
「い、いつの間に……! いや、そもそもなぜ気絶していない!?」
「なぜって、跳ね返ってくることが分かってるんですから、気絶しない程度の力で打撃したに決まっているじゃないですか。祠は壊せるけれど私を気絶させるほどじゃない、そういう力で叩いたんですよ」
まあ、痛かったですけどね。
首をさすりながら針乃は答えた。
「な……ッ!?」
さっきの一撃は、明らかに人間が出せる威力の範疇を越えていた。
あの一撃が、この少女にとっては『気絶しない程度』に過ぎないというのか。
いや、それよりも。
彼女の口ぶりからして、『祠を壊せる一撃<自身を気絶させる一撃』ということだ。
彼女は石でできた祠よりも頑丈だとでも?
「人間ふぜいが、どうして……」
「まあ、鍛えていますから」
針乃の眼が、住職を捉えた。
その時になって、住職は初めて気付く。
この少女が持つ、黒く塗りつぶしたような光の無い目。
それは、ただ根暗な少女のそれではない。
もっと深く暗く静かな。
想像でしか語られない海の底のような眼差し。
その奥に、何か底知れない物を見たような気がした。
「お前さん、人間じゃないな!?」
「ふふ、人間のフリをしているのはあなたの方でしょう」
「よ、寄るなっ!」
住職は黒い傘を放り捨てると、祠の陰に隠れた。
それまでの居丈高な振る舞いも忘れ、ガタガタと震えている。
「元々不自然に思っていました。聞いた話では、最初に起きた工事中の事故は作業員の単純な操作ミスだったそうです。それが、どうして『呪いの祠』として有名になったのか? インターネットに挙がっている無数の情報には、いつもこの祠の危険性を説くあなたの姿があった」
「ぐ、ぐぐぐ……」
「あなたがこの異変の本体……この道祖神にとりついた『怪異』なのでしょう? 噂を盛り立て、あなた自身の力とするために、あなたは人の姿を借りたのです」
「ぐ、ぐぐ、ぐがぁッ!」
住職は祠の陰から飛び出し、一か八かと針乃に飛び掛かった。
その手は、人間のそれではなかった。
肌は灰色に褪せ、岩のようにガサガサとひび割れている。
その指先からは河原の石のように分厚く尖った爪が伸びていた。
「祠は、壊させんぞ!」
その凶手が針乃の首に触れようとした、その間際。
針乃は落ち着いた口調で言った。
「ちなみに、ですけど」
次の瞬間、空気が破裂するような音が響いた。
針乃の右手が住職の腹を打ち抜いた音だった。
「手加減なしだと、こんな感じです」
「お、おぼぼ、ごが、ぐえぇぇェッ!」
住職の姿が人間の輪郭を失い膨脹した。
そしてパッと弾け、消滅した。
まるで人の形をした風船が割れてしまったかのようだ。
後には何も残っていない。
黒い傘も、いつの間にか姿を消していた。
「……これで、一件落着かな」
針乃は、祠をデコピンの要領で突っついた。
「うん。ダメージも返ってこない。もう何の『力』も残ってないね」
針乃がつぶやいた、その時。
ピシッと薄氷を踏むような音がした。
「?」
祠の石材に亀裂が走り……
「あっ」
針乃が止めようとする間もなく、道祖神は粉々に砕け散った。
「え! もう祠を壊しちゃったんですか、先輩!?」
その時、ようやく戻ってきた静那が声を上げた。
「せめて壊す瞬間だけでも見学させてくださいよ、もう……」
静那は、頬を膨らませた。
「ごめんごめん、つい成り行きでね。それにしても遅かったね」
「それがですね、運んで休ませていた配信者の人が『頭がクラクラして水飲まないと死んじゃう』って騒ぎ始めて……」
「それで買いに走ってあげてたの? ご苦労様だね。お金は?」
「ちゃんと払わせましたよ。で、思ったより元気そうだったので放置してきたんですが、それよりも……」
静那は砕けた祠を見やった。
「どうやって壊したんですか? いつの間にか、辺りに充満していた怪しい気配も消えてるし……」
「壊してないよ。勝手に壊れたんだよ」
「?」
「信仰も人の噂も、維持する者がいなくなれば勝手に風化して壊れていくものだよ。それが自然の摂理。まあ、さっきの配信者さんが壊しちゃったってことにしてもいいけどね」
その時、針乃の鞄の中でスマホが鳴動した。
着信だ。
「もしもし、九時宮です。■■公園の件ですか? はい、ちょうど今終わったところです。はい、工事も再開していただいて大丈夫かと」
通話を打ち切ると、針乃は静那に目を向けた。
「何か食べてく? おごったげるよ」
「行きます!」
少女たちは並んで、その場を後にした。
車が行き交う繁華街の片隅。
最寄り駅へと続く歩道を並び進みながら、静那はたずねた。
「そう言えば先輩、例の話って本当なんですか?」
「なあに?」
「高等部に『異世界帰り』が転校してくるって話ですよ」
「うん。元勇者くんだってね」
「そんな人、受け入れちゃっていいんですか? 異世界ってなんだかいけ好かない感じがします。『力』を持っただけの素人なんて、さっさと封印するべきなんじゃ……?」
「あまり偏見で物事を語っちゃいけないよ。この世にイメージ通りの物なんて中々ないよ。異世界だって、きっとそう。私たち『魔法少女』がアニメやマンガ通りの存在でないように、ね」
「それは、そうですけど……」
まだ何か言いたげな静那の頭に、針乃はポンと手を置いて優しく撫でた。
「大丈夫。どんな子かは私が見極めるよ。【裏門】で直接、ね」
そう言って、現役最強と噂される魔法少女はニコリと微笑んだ。
その瞳だけは優しい表情の中にあっても暗く深く、ただ底知れない深海を湛えていた。
『東京LV99』本編につづく