集英社ライトノベル新人賞
第13回
ジャンル部門
最終選考委員講評

(2025.3.19)

三河ごーすと 先生 総評

今回、非常にレベルの高い最終選考作を読ませていただきました。

どちらの作品も文章力などの地力の高さが感じられるだけでなく、作品独自の世界観を持ち、それでいてただ設定に振り回されることなくしっかりとその世界の中で生きている人物たちを描き切っていました。

文章の端々から人物の魅力を余さず描き切ろうとする情念を感じ、題材の選び方や世界観の構築の仕方には固定概念にとらわれずに発想の枝を伸ばそうとする自由さを感じました。

今回最終選考に残ったお二人なら、初心を忘れずに創作と向き合い続けることさえできれば、きっとプロの作家になってからも良い作品を紡ぎ続けることができるのではないでしょうか。

もちろん見えてくる課題もたくさんあると思いますが、担当編集者と一緒により良い作品を世に出せるように邁進していただけたら嬉しいです。

ライトノベルという媒体で時折ささやかれる「ルールのようでルールでも何でもない何か」があります。

たとえば「女性主人公は推奨されない」といったような話、あるいは「オリジナル設定が多いと読者が嫌がる」といったような話です。ですが、そんなことは関係ないのです。

そういった特徴を持っていても面白い作品はある、ライトノベルだからとか、そういうくくりには何の意味もない、ただただ小説として魅力的かどうかが大事である……と、それを証明してくれる作品たちだったと思います。

【作品講評】

『君の心は物理的に宝石で、あの海の色をしたサファイアである』 / 穂積潜

 感情がタマイシとして露わになっている世界と感情を取り戻すための旅、という物語アイデアはとてもユニークで興味深く楽しく読ませていただきました。主人公とヒロインの二人の人生、物語に対する愛情も強く感じ、大切に書かれた作品なのであろうと察するところです。
 ただ一方で、もったいなさを感じる点も多々ありました。
 まずひとつ目のもったいない点ですが、物語のギミックの都合で主人公の本心を後半まで隠し通さなければならなかったとはいえ、序盤のヒロインに対しての行動はかなり心象が悪いです。登場人物の目線だけでなく読者の目線でも主人公の行動が独善的に感じられてしまい、しかもそれがヒロインの大きな問題に直接繋がってしまっているように見えるので、「主人公のせいで問題が起き、主人公がそれを解決するために走り回る」というある種の自業自得のような展開に受け取られてしまう恐れがあります。
 次に、喜怒哀楽のような「感情」と味覚や苦痛のような「生理的反応」の区分がややわかりにくいことが気になりました。まずい味というものを肉体が感じたときに、「嫌だ」と感じたり、怒ったり感じたりすることがなくなるのは理解しつつも、「怒」と「哀」を失った人間がその反応を「喜」で表現することもあり得るのではなかろうかと思ってしまう等、この世界における「感情」と「生理的反応」がどのように整理されているのか理解しきれなかった印象です。せっかくのユニークな世界ですので、このあたりの話が登場人物の具体的なエピソードとともにもっと掘り下げられていたらとても興味深く感じられただろうなと思いました。
 最後に、登場人物の魅力的な側面はもっともっと描けたのではないでしょうか。特に主人公と茜(ヒロイン)は、魅力を描き切れていないように感じています。物語を前に進めるための文章、描写が先行してしまっているため、二人の間に起きた出来事や大まかな感情の流れは理解できるようになっているのですが、理解できるだけで、感じ入れるところまで行かない印象が常につきまとっていました。主人公の茜(ヒロイン)に対しての想いを感じられる部分は、もっともっと強く、文章量を割いて描いてほしいし、茜(ヒロイン)が何を考えて生きているのか、どうして他の人間と違うのか、主人公に思い入れを持っているのか、病気の影響でどう変わってしまったのかを、もっともっと強く、深く、これでもかと文章にしまくってほしいと思います。二人の旅路が読者にとって思い入れの深い素敵なものになればなるほど、物語の結末は輝くし、感動できるものになるはずです。物語を進行させるための文章やシーンだけでなく、二人に思い入れを持ってもらうための文章やシーンをもっと心掛けてもらえたら更に良い作品になるのではないかと感じました。

『神様の眠る場所』 / 立春佑希

 とても素晴らしい作品でした。何度か涙腺が緩んでしまうようなグッとくる場面があり、読後感も非常に心地好かったです。日本の神々の在り方に焦点を当てた独特な世界観ながらも文章力や登場人物の描写、心の流れ、物語の構成力といった地力が高いため、物語にどんどん引き込まれていきました。主人公(あえてヒロインとは書きません)のマユの描写がとても魅力的で、気まぐれな猫の感性と年頃の女の子の感性がミックスされたような言動や心の流れ――反抗期のようでありながらもきちんとなついてもいるという様子がこれほど解像度高く描かれているのは見事というほかありません。小さい頃から一緒に過ごしながらも思春期ならではの照れくさくて距離を空けてしまう様など、初々しい姿をこれでもかと見せてくれたおかげでいつの間にか主人公たちのことを好きにさせられていました。
 中盤以降で主人公たちが立ち向かうべき問題も同時代性を感じさせるもので、今、この時に描くことに意味があるように思えました。誰が悪者とも言えない不可抗力な出来事をきっかけに後戻りできない大きな不幸に見舞われた存在。彼らは明確に被害者であって、救える機会があるなら救ってあげたい存在であるけれど、では誰かが自分の人生のすべてをなげうってまで救わなければならないのか? その責任を取るべき者は、本当にその人なのか? そして、その哀れな者たちは、本当にただ哀れな存在として居続けることはできているのか。哀しみを抱え続けた末にその感情はいつしか怨恨に変わってしまっていないか。自分が救われることよりも、ただ憎しみを発散したい怪物と化してしまっていないか。――とても難しい問題で、身につまされるものがあります。そんな難しい問題に主人公たち二人がどんな回答を選ぶのか、最後まで興味深く読み進めていきました。
 すこし気になったのは、一点だけ。
 二人の主人公どちらの視点も存在する作品なので、尺の都合で難しいことだとは思いつつ、凪織の魅力を感じられるシーンがもうすこしあると、もっと物語を味わえたように感じました。凪織がマユのことをいかに大切に想っていたのかがわかるシーンが中盤以降にならないと出てこなかったり、視点(カメラ)を受け取る場面が、マユがいなくなったり物語が動いて平静でいられなくなったシーンに偏っているため、焦ったり、怒ったり、誰かを責めるような言葉をかける時の心情描写が多かった印象です。その感情の高まりはもちろん大切なのですが、ふだんの凪織がどういう性格で、どのように魅力的なのかが十分に描写された上で、そんな彼でも取り乱してしまう場面なのだ……といった魅せ方になっている方が、より中盤以降の展開の切実さを感じられたかもしれません。
 ただそれも「あえて言うならば」ぐらいのことで、明確な改善点というわけではありません。今の凪織の描かれ方でも十分に作品の味の範囲だと思います。
 それぐらい全体的に完成度が高く、心にも訴えかけてくる作品になっていたと感じました。

(敬称略、順不同)