WORLD

妖精

身体は小さいが、人間によく似た外見と高い知能を有し、人語も解するという奇妙な生物。

フェイ族

フランスでもっとも一般的に見られる妖精族。

フォレ族

フランスの森に生息する。羽はあるが飛べない、鶏に似た種族。

コリガン族

ブルターニュ固有種の、金髪に白い肌の妖精族。

錬金術

占星術、神働術と並んで世界の叡智のひとつに数えられる学問。

賢者の石

古代から幾多の錬金術師たちが錬成しようと実験を繰り返してきた、錬金術における究極の物質。

ユリス

賢者の石とエリクシルの両方を手に入れて、賢者の石の力を所有した者の総称。

エリクシル

錬金術によって錬成される「霊液」。

ヘンリー5世

巨石遺跡

ヨーロッパの各地に存在する、古代文明の遺構。

用語集

イザボー・ド・バヴィエール

ドイツから嫁いできたフランス王妃で、シャルロットの母。夫シャルル6世の発病後は、その奔放な性格に歯止めが利かなくなり、王弟オルレアン公ルイやブルゴーニュ公ジャン無怖公との醜聞が流布し、王室の権威は失墜。その結果、フランス王宮にブルゴーニュ派とオルレアン派(アルマニャック派)の二大派閥による内部抗争を招き、ついにはイングランド王ヘンリー5世の侵略を許してしまう。この時、王位継承権を獲得していた娘シャルロットと不仲だったイザボーは、ヘンリー5世と結び、「シャルロットはフランス王の子ではない」と宣言。もう一人の娘キャサリンをヘンリー5世に嫁がせて、ヘンリー5世にフランス王位継承権を与えた。このため、フランスの民衆からは「フランスを滅ぼした女」と呼ばれている。

エドワード黒太子(1330-1376)

イングランド王太子。イングランド王エドワード3世の息子。百年戦争前半戦でほぼ無敵の強さを誇った英国の英雄。ポワティエの戦いでフランス王ジャン2世を捕虜とし、カレー条約を成立させ、自らはアキテーヌ公として南フランスを支配した。しかしスペイン遠征で病を得て自ら軍を直接指揮することが困難になって以後は、フランス軍を率いるベルトラン・デュ・ゲクランに押されることになり、アキテーヌから脱出してイングランドに帰還するも若くして病没。黒太子は父王より早く死んだため、ついに王位に即位することはなかった。イングランド王位は、黒太子の息子リチャード2世が継いだ。

ジャン無怖公

フィリップの父親。豪胆公の嫡男で、ヴァロワ=ブルゴーニュ家第二代ブルゴーニュ公。怖い物知らずの勇者で、東方の聖遺物を収集する癖があり、十字軍に参戦しオスマン帝国の捕虜となったことも。フランス王家の分家という立場ではあるが、ブルゴーニュ公国の領主としての意識が強く、宗家であるフランス王国からの独立を志していた。
フランス王シャルル6世の発病後、王弟オルレアン公ルイを相手にパリと王妃イザボーを奪い合い、フランス王宮をオルレアン派(アルマニャック派)とブルゴーニュ派の二つの派閥に分裂させた上、政敵ルイを暗殺してしまう。このため、ジャン無怖公自身もアルマニャック派の報復を受けて志半ばで暗殺されることになり、フランス軍はイングランド軍に抗戦する能力を喪失。パリはついにイングランド軍の手に落ちる。

ニコラ・フラメル

14〜15世紀のパリに住んでいた錬金術者。書店業を営み、異国のものを含む多くの書物を書写し、販売していた。スペインのアンダルシアで、カバラの秘法書「アブラハムの書」を研究し、賢者の石の錬成に成功したとも、卑金属から黄金を錬成したとも噂されるが真否は不明。ただし、莫大な資産を有していたことだけは確実である。代表的な著書に、錬金術の秘密をシンボリックに記した謎の書「象形寓意図の書」がある。

ブルゴーニュ公国

十四世紀のフランス東部にあった、フランス王国の分封国(アパナージュ)。前身はカペー家系の公国だったが1361年に断絶。1363年にフランス王家ヴァロワ家のフィリップ2世がブルゴーニュ公(豪胆公)となり、ヴァロワ=ブルゴーニュ家のブルゴーニュ公国が誕生した。さらに1369年にフランス王にして実兄のシャルル5世が、豪胆公とフランドル伯の娘を結婚させたことで、ブルゴーニュ公国はヨーロッパ随一の商工地域フランドルを領有する大国となった。しかし強大な力を手に入れた豪胆公は次第に、自らはフランス王国の分家ではなく、ブルゴーニュ・フランドルという「国」の支配者だという独立意識を強めていくことになる。シャルル5世の死後、フランス王宮は豪胆公の派閥(ブルゴーニュ派)と、王位を継いだシャルル6世の弟オルレアン公ルイの派閥(オルレアン派=アルマニャック派)に二分されることになる。フィリップの父、ジャン無怖公はフィリップ2世の息子にあたる。

ブルターニュ公国

フランス北西部のアルモリカ地方にブリテン島から移住してきたブルトン人が九世紀に建国したブルターニュ王国がその前身で、十世紀にフランス王に臣従を誓うことで公国となる。以後、イングランドとフランスの間で揺れ動きながらも公国としての独立性を保ち続けてきた。ブルトン人は旧ヨーロッパ先住民族の血を強く残しており、フランス人ともイングランド人とも異なる古い民族という自負心と「イングランドにもフランスにも支配されない」という独立心が強い。ブルトン人は島から大陸へとアーサー王伝説を携えてきた人々で、かつ百年戦争の英雄デュ・ゲクランを輩出したこともあり「騎士の国」と称される。また、ブルターニュには、多くの巨石遺跡ーーメンヒルやドルメンが残されており、巨石の周辺には妖精族が住み着いている事が多い。

ベルトラン・デュ・ゲクラン(1320-1380)

ブルターニュの騎士、「ブロセリアンドの黒犬」。醜男で、しかも身分の低い傭兵隊長だったが、戦場で次々と武勲を立てて賢王シャルル5世に見出されて騎士として仕え、フランス軍を率いて百年戦争の中盤戦にあたる「再征服戦争」を戦い、英国からフランス本土のほとんどを奪回するという大功を立てる。かくしてデュ・ゲクランは救国の英雄としてフランス民衆に支持され、低い身分にもかかわらずフランス軍元帥にまで上り詰めたが、祖国ブルターニュへの愛とシャルル5世への忠誠心との間で板挟みとなる複雑な立場でもあった。騎馬による突撃一本槍だったフランスの騎士たちとは違い、傭兵らしいゲリラ戦術を得意としたが、騎士道精神にも溢れていた。天才肌の戦術家だったが「やらかし」も多く、ライバルのエドワード黒太子相手に敗戦することもあり、何度も捕虜になった。が、そのたびにシャルル5世は身代金を払ってデュ・ゲクランを解放した。
その晩年、百年戦争を終わらせるために、パリに騎士養成学校を設立した。

ヘンリー5世

ランカスター朝第二代イングランド王で、エドワード黒太子の息子リチャード2世からイングランド王位を奪った同王朝の開祖ヘンリー4世の息子。戦争の天才で、破格の英雄。中断されていた百年戦争を再開し、アザンクールの戦いで歴史的な勝利を収め、派閥争いで混乱して満足な防戦体勢を取れずにいたフランス軍を次々と撃破。ノルマンディーを征服し、ブルゴーニュ公国と同盟を結び、トロワ条約を締結してパリ入城を果たす。パリに入ったヘンリー5世は、フランス王シャルル6世の娘キャサリンと結婚してフランス王位継承権を獲得。フランスとイングランド両王国の統一を果たしかけたが、フランス王に即位することなくヴァンセンヌの森で三十代の若さで急死した。死因は謎である。リッシュモンの義理の兄で、摂政ベドフォード公は実弟。ヘンリー5世の死後、彼とキャサリンの子ヘンリー6世がイングランドとフランスの王位を継承したが、南フランスへ亡命していたシャルル6世の娘シャルロット姫太子がフランス王位継承権を主張したために、ここにフランス王位継承者が並立することになった。

傭兵

金銭を主とした報酬によって、ある勢力に雇われて戦争あるいはそれに類する行為を行なう兵の総称。その雇用期間は概ね短期的で、戦闘毎に随時契約を結ぶ場合もある。
百年戦争に代表される長期の戦争や疫病の流行によって国家や貴族の財政が困窮した中世ヨーロッパ諸国においては、維持費のかかる常備軍に比べて一時的な出費で済む傭兵たちが、広く利用された。
しかし傭兵は戦時には役立つが、戦争が中断されると契約終了となって解雇されるため、盗賊となって村を略奪する部隊も多く、フランスの村々は荒廃し民心は混乱した。
百年戦争の中盤戦でフランスを立て直した賢王シャルル5世は税制改革を行い、宮廷の収入を増やして常備軍に精鋭の傭兵たちを組み込むことで治安問題を解決するとともに戦線をフランス有利に傾けたが、その晩年には重税に反対する一揆が頻発し、税制改革は頓挫。常備軍もまた消えてしまった。
シャルル5世の死とともに、フランス軍は封建騎士と傭兵を中心とした中世封建制時代に逆戻りしたのである。

フス戦争

1415年、ドイツ王(実質上の神聖ローマ帝国皇帝)のジギスムントはローマ教会の分裂騒動「教会大分裂」を収拾する一方で、カトリック教会に抗議するプロテスタント運動の先駆的な存在だったボヘミアの宗教改革者ヤン・フスを異端として火刑に処し、さらに1419年には自らボヘミア王に即位した。
その結果、反発したボヘミアのフス派信者たちが武装蜂起し、教皇とジギスムントを相手に「フス戦争」が勃発した。教皇とジギスムントは十字軍を派遣してフス派を倒そうとしたが、フス派の指揮官ヤン・ジシュカは新兵器のマスケット銃や戦車を用いて騎士の突撃を阻む独自の戦術を導入し、十字軍を何度も撃ち破った。
オルレアン包囲戦の当時、ジギスムントはなおもフス戦争を戦い続けなければならず、百年戦争に深く参与する余裕はなかった。

聖遺物

イエス・キリストや聖人たちの遺骸や遺品を聖遺物と呼ぶ。聖遺物は、中世ヨーロッパでは「奇跡」を起こす力を持つと信じられ、熱烈な信仰の対象となっていた。
十字軍は、東方の地をイスラム勢力から奪還するのみならず、東方の聖遺物を大量に収集してヨーロッパへ持ち去った。
第四回十字軍は、キリスト教国家である東ローマ帝国の首都コンスタンティノープルを陥落させて、大量の聖遺物を略奪した。
これらの聖遺物は、教会や修道院に納められるだけでなく、高値で売買された。中でもフランス王のルイ9世は聖遺物の収集で知られる。
十字軍には、「聖遺物獲得による一攫千金」というゴールドラッシュ的な側面もあったのである。

十字軍とテンプル騎士団

1095年、イスラム王朝に領土を侵略されていた東ローマ帝国が、ローマ教皇ウルバヌス2世に救援を依頼した。

聖遺物